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ヲナキとは?/ プロミス

[ 487] Amazon.co.jp: ヲナキさんのプロフィール: レビュー
[引用サイト]  http://www.amazon.co.jp/gp/cdp/member-reviews/AAEQT6G8B6CAS?ie=UTF8&sort_by=MostRecentReview

筋立てのある映画やドラマも好きだけれど、どうしても受身に作品と接してしまう。それは鑑賞体験を重ねるにつれて物足りなさへとつながる。世の中には明快な刺激を伴わない難解な映像作品もある。メディアそのものについて自己省察的でコンセプチュアルに作られた、鑑賞者に能動的なコミットメントを求める挑発的な映像の世界が、大衆的映像文化の副流として存在する。インディーズの「映画」までで足踏みしていたシネフィルが、現代美術としての「映像」に開眼するには恰好の入門書となる。松本俊夫氏や飯村隆彦氏らをはじめとする執筆陣の個人史的な記述も興味深い。ただ、残念なのは装丁がフィルムアート社みたくキャッチーではないこと。
入れ子構造や脚注の存在がメタフィクション性を強く意識させる意欲作。ストーリー展開の抑揚がいかにもオースター的だが、本編と短いエピソード群から構成される複合的な作品は不思議とマンネリには感じさせない。いくつもの伏線を匂わせながら次々と寸断されたり、読んでいる途中で誰の物語か分からなくなったり、と喜ばしい戸惑いをおぼえる。そして、小説を始動させた重要な小道具が登場人物の感情の極みで始末される前作同様の虚無的演出にはまたもヤラレてしまった。結末はいつも暗いのだけれど必ずささやかな救いが用意されているからだ。絶望感とともにオブセッションから解放された後に、ほのかに残る暖かな人間関係。このえもいわれぬ読後感がオースターの描く世界の魅力である。(ところでこのお話、ぼんやりと『ねじまき鳥クロニクル』に似てませんか?)
『翻訳夜話』は村上春樹・柴田元幸両氏を信奉するファンにとって垂涎の対談集であったばかりか、翻訳志望者にとっても役立つ情報が満載でとてもタメになった。今回、『サリンジャー戦記』と名を冠して続編が刊行されたわけであるが、翻訳技法のような側面も期待して買ったボクには少し物足りない内容だった。前作とは全く別物と考えた方がいい。もちろん翻訳の苦労話をめぐる面白可笑しいふたりの絶妙の掛け合いは健在ではあるが、どちらかといえば『キャッチャー・イン・ザ・ライ』について、ディテールに至るまで深く読み解き、思い入れたっぷりに語り尽くしたサリンジャー研究書といってもいいような本である。すでに新旧両訳を読み比べていて「翻訳のプロセスなんてどうだっていい。日本語訳で読めればええやん」というむきには十分楽しめる酒肴となる。
浄土真宗の家に生まれ、プロテスタント系の学校に通い、半年以上イスラム圏を旅した経緯もあり、宗教に少なからず興味を抱いてきたボクとしては、人並み以上に<宗教>というものについて通じているつもりでいた。だからこの本についても復習のつもりで読んでみたのだが、入門というタイトル以上に濃い内容でとても勉強になった。東京工業大学での講義「宗教社会学」をもとにコンパイルされたテキストで、宗教オンチの初心者のみならず誤解だらけの宗教オタクまでをも対象に、「わかっているつもりでわかっていない」宗教について各論比較しながらわかりやすい講釈をしてくれている。批判的なレビューも書かれているが、各宗教が発生した理由(社会的背景)についての推察を橋爪さんが口語体で披露する<ぶっちゃけ大胆解釈>はとても新鮮で他の宗教解説書にはない面白さがある。「一冊読めば、宗教とはどういうものかひととおりわかってしまう便利な本」にしたいという著者の目論みが見事に成功した素晴らしい本だった。
「旅行医学」なる言葉自体が初耳だったので興味深く読ませてもらった。多くの日本人が海外へ渡航できるようになった現在にあっても、トラベルクリニックの認知や普及の度合いにおいて、日本は相当な後進国であるという事実に驚かされた。病気に罹ってから病院に駆け込むのではなく、旅立つ前に旅支度としての「予防」を心掛けるべきだという指摘に得心。かのアレキサンダー大王ですら一匹のマラリア蚊によって落命したというのだから。この本は病気という観点から世界史を総観しているという点でとても新鮮だった。検疫(quarantine)という言葉が、イタリアにおいて伝染病の感染を防ぐために商船をすぐには着岸させず、沖合に40(quarenta)日間停泊させたことに由来している、などのエピソード群も非常にタメち?なる。
フッサールという現象学の始祖に対して抱いていたある種のとっつきにくさが、本書を通読することで随分と払拭された。かの偉人のひととなりを紹介するとともに、難解とされるフッサール理論を一般読者向けにかなり噛み砕いて平明に解説してくれる丁寧な入門書。他のフッサールを扱った本と比較するとその分かり易さは歴然。現象学の概念を自家薬籠中のものとした筆者だからこそ仕上げることのできた力作だろう。学問の空虚さ、換言すれば現実を覆い隠す<糞食らえ>な思弁を否定し、諸学問の始原である「現実」を突き詰めていこうとするフッサールの硬派な学究的姿勢、そのあまりにひたむきで純粋な情熱に心打たれる。
先日思いきってとうとうMacを購入した。しかしここ10年近くもWin環境に馴染んできたものだから使い勝手がほとんどわからない。早速近所の大型書店へ行って2時間以上もMac関連のマニュアル本を読み比べてみた。そしてようやく出した結論がこの本だった。まず逆引き方式というのが助かる。索引を使って実行したいことやトラブルシューティングがすぐに引ける。他の類書と比較するとヴィジュアル面で貧弱だが(カラー刷りでない、という意味で)、説明書きをスリム化してQ&A項目を500も設けている点が画期的だと思う。広範囲にわたって小ワザが網羅されているので、今後は安心してMacが楽しめそうだ。
こんなに素晴らしい写真家を最近まで知らなかった無知な自分を恥じている。かくの如き神秘的で哲学的深度を有した風景写真がカメラに収められたという事実は奇跡以外の何物でもない。初めてソクーロフ監督の映画を観た時と同じ興奮を覚えてしまった。とにかく一度ご覧になっていただきたい。決してオーバーすぎる賛辞でないことがわかっていただけることだろう。静謐で寂寥さをたたえたランドスケープは、既視感や郷愁といった感覚や、「夢のような」という陳腐な形容を超越して、死後に彼岸の世界への往路で一度だけ見ることができるヴィジョンのように思われる。

 

[ 488] オンライン書店ビーケーワン
[引用サイト]  http://www.bk1.jp/webap/user/SchReviewerReviewList.do?reviewerId=29385

日本の近代化は、永続性を考慮せずに使い捨てられるプロダクツに囲まれた<消費される生活様式>をつくりあげた。ここで問題とされている永続性とは、言うまでもなく物理的な耐久性などではなく、<スタイルの持続性>のことである。「これってどうなんだ?」問題意識の高い人なら誰もが抱くこのような生活様式に対する漠たる懸念を、柏木博氏というデザイン評論界の第一人者から指摘されて、改めて資本主義の弊害を再認識する。日本という国はまさに資本主義時代の寵児であろう。大量生産大量消費というシステムが経済を賦活化し成長を維持させることを証明するには恰好の例である。この猥らなクラッシュ&ビルドという発想がなければ戦後日本の… 
砂利道を猛スピードで爆走するド派手な乗り合いバス。堅いシートの上でトランポリンのように弾みながらボクは辟易する。「もうそんなチープな歌謡曲は止めてくれよ!」カーステから絶え間なく大音量で流れ出る喧しい異国の歌。あの忌わしい80年代の和製ポップスにも似たチンケな楽曲がサエない思春期を想起させる。嘔吐、嘔吐。嘔吐しながらも、時が経つにつれなぜかボクは心地よい気分になってくる。バスの揺れと件のBGMが緩やかにシンクロしはじめ、旅人を不可思議な陶酔へと誘ってゆく。 あるいは朝まだき暗闇を切り裂いて鼓膜を振るわせるハタ迷惑なアザーンの爆音。浅い夢を破られて舌打ちしていた自分が次第にあの濃厚な詠唱なくし… 
ゆえあって最近、不定期的にではあるが教会に通いはじめている。場所は大阪・万博公園に程近い、閑静な住宅街の一角にひっそりと佇む、茨木春日丘教会という名の教会である。ぐるりを木々が覆い、初めて訪れる人はうっかり通り過ぎてしまいそうなほど小さなその教会堂には、週末になると近隣の信者はもとより、国内外の遠方からたくさんの来客者が集う。「光の教会」という別称を出せばその理由もお分かりになるだろうか。安藤忠雄氏の設計で知られるシンプルで美しい建造物である。 しかし、この建物が現出するまでに至る艱難辛苦の道のりは、本書の読者以外にはほとんど知られていないと思う。低予算、タイムリミット、構造上の難問、杭打ち… 
TVでも取り上げられていたのでご存知の方も多いと思いますが、世の中には飼い主の帰りを察知できるスーパーわんちゃんがいるそうです。それは、毎日同じ時刻に帰宅するからだとか、帰りを待つ家族の様子をヒントに推察するからだとか、主人の臭いや足音をキャッチするからだとか、そんな単純な理由ではないようです。それまで居間で寝そべっていた室内犬が急に立ち上がって玄関に向かうタイミングは、飼い主が仕事を終えて家路につこうとするまさにその瞬間なのです。いったいどのようにしてペットは数キロ、数十キロも離れたところにいる主人の行動を知覚できるのでしょう? このような動物たちの不可思議な能力に対する疑問から本書は出発… 
ヴァルター・シュピースというドイツ人画家の生涯にすっかり魅せられてしまいました。評伝を読んで興奮をおぼえたのは久しぶりのことです。それは、彼がケチャ・ダンスというバリ古来の伝統芸能と思われがちな文化を創出した立役者であったという業績や、数々の著名な文化人をもてなしたホスピタリティ、日本軍の爆撃によって命を落としたという悲劇的なラストのせいばかりではなく、彼が<いま>を味わい尽くした人間だからであり、バリという土地に心酔したその思い入れの深さに心打たれたのです。もしこんなに素晴らしい本が未読であるなら勿体ない。バリ島へ旅行される方にとっては、ガイドブック以前に読んでおくべき必読書です。 シュピ… 
なぜ誰もこの小説をレコメンドしないのか不思議なくらいカッコいい小説だ。もうとっくの昔に読んでいて、「なにをいまさらこの小説を俎上に上げるんだ」というような海外小説愛好家を前にしては、自分の無邪気さに恥じ入るばかりだが。もしかすると「できれば教えたくない」と密かなお気に入りに加えておられる方が多いのかもしれない。しかし、本当に認知度が低いということであれば、ミシェル・リオというフランス人作家をこのまま埋もれさせておくのはもったいない。同時期に出版されたジャン・エシュノーズの作品はその後も翻訳が出ていたというのに。当時(1995年ごろ)、白水社の「新しいフランスの小説シリーズ」を一通り読んでみた… 
「TVタックル」という討論番組での一幕。俎上に上げられた代議士連中を擁護するコメンテーターに反論して、経済アナリストの森永卓郎氏がこんなことを言っていた。「あいつらなんてただ運が良くて声がデカいだけじゃないか!」と。よくぞ言ってくれました。まさしくそのとおりだとは思いませんか。成功なんて所詮、天佑とエゴの大きさで決まるのだ。努力の差が結果を左右するわけではない。偶然のインセンティヴさえあれば誰だって一所懸命頑張るものなのだ。その最初の動機付けを与えるものこそが運なのであって、幻冬舎の某社長さんが同社の一連のビッグヒットについて朝日新聞のインタビューで答えていたように、「これほどの努力を人は… 
ものぐさな英語学習者だからこそ、よりよい英語教材をかぎ分ける嗅覚を持っているという変な自負がある。今回おススメするのは新書版の単語集。これからの英語学習法はまちがいなくコンテクスト重視の単語習得になっていくと予想されるが、そんなご時世にあって今さらフツーの単語集なんて、と思われる方がおられるかもしれない。しかし、実際に使ってみた感じだと、なかなか効率よく記憶できるような感触が持てた。 タイトルからもわかるように、この教材の主眼は<音読>して学習することにある。確かに著者が主張するとおり「読めない単語は身につかない」。たとえ単語の綴りを覚えたとしても誤った発音をしていたのなら、それは実用英語と… 
「詩のような」という安易な比喩で片付けられてしまうほど薄っぺらな小説ではない。初めのうちは、その表紙の絵から恋愛小説だと勘違いしていたが、読み進めるうちに、これが超一級の哲学小説であることが明らかになってきた。一度読んだだけではよくわからない。何度も繰り返し読んでいくうちに、コミュニケーションの齟齬に終始する物語の断片から、ようやく小説のエッセンスがぼんやりと浮かび上がってくる。それでも、臓腑にインプラントされたこの説明しがたい異物感は、一向に消えることなく残っていて、なんだか未だに苛々している。ボクの手に余る厄介な小説だ。 パフォーマンス・アーティストのローレンは、夫である映画監督レイのピ… 
バルト、デリダ、フーコー、ドゥルーズ、ラカン、アルチュセール、レヴィ=ストロース…。20世紀のフランスに花開いた現代思想界のなかにあって、構造主義の知られざる開祖がいたことはご存知だろうか。ルクセンブルグにあるクスクス出版局という怪しげな出版社から『文化行為としての性交』という本をひっそりと世に上梓した後、忽然と姿をくらました伝説の知の巨人。フーコー以上にフーコー的、デリダ以上にデリダ的。その上、サリンジャーよりもピンチョンよりもミステリアス。本書はそんな謎の思想家マンソンジュ氏の足跡を追った物語である。 と、ここまで書いて何人の人が「へぇ、そんな哲学者がいたんだぁ」と騙されたのでしょうか?… 
時間を厳守し「待つこと」「思い出すこと」に縛られがちな、どちらかといえばイヌ的な実直さで日々の生活に振り回されるボクは、時間はおろか何ものにも捕らわれず、一瞬一瞬の生の煌きを楽しむ公園の野良ネコさんたちを横目に、微かなジェラシーと大いなる尊敬の念を抱きつつ、毎日通勤の途についているのですが、先日、ネコ好きの彼女がある本を無心に読み耽っていて、その後面白いからと薦めてくれたのがこの食とネコにまつわるエッセイ集でして、金井美恵子さんの、句点(「。」)をあまり用いないで、ゆるゆると流麗に読点(「、」)でつないでいく口語的な文体は、小説よりも、とめどなく拡散していく連想を思いつくままに書いていくエッセ… 
ボクは観ていなかったのだけれど以前『水曜日の情事』というTVドラマがあって、その中で毎回、キレ者の文芸編集者を演じる本木雅弘がモルトウィスキーについて蘊蓄を垂れるシーンがあったそうだ。このドラマを観ていた職場の同僚は「あれってアノ本に書いてあったんそのままパクってるやん!」と息巻いていた。 アノ本とは土屋守著『モルトウィスキー大全』のこと(ちなみに土屋氏は日本にモルトウィスキーの存在を知らしめたパイオニアであり、「世界のウィスキーライター5人」にも選ばれたスゴイ人物)。洋酒に携わる商売をされている方々やモルトに関心のある左党であれば、マイケル・ジャクソン(例の方とは別人)氏の著作とともに必ず… 
思いがけなくヘンリー・ダーガーの絵に遭遇してからもう10年近く経つ。当時定期購読していた雑誌をパラパラとめくっていたら、とんでもない映像がボクの網膜に飛び込んできた。「暴力とエロスの嵐の中で」と題された都築響一氏の手になるその記事には、一枚の絵が大きく見開きで紹介されていた。そこには、どことなくアメリカ南北戦争を思わせる舞台設定のなかで、大人たちが情け容赦なく素っ裸の少女たちを絞殺する様子が描かれていた。表情に乏しい(だがどこか嬉々とした)大人たちとは対照的に、少女たちは目を剥き・舌を突き出し・大きく口を開け、もの凄い形相を浮かべている。鉛筆の下書きの上に水彩を施しただけのような拙い絵なのに… 
美大や美術系専門学校で専門的な教育を受けたことのないボクのような門外漢にとっては拍手喝采ものの一冊。最新アートに読み解くためには欠かせない重要なキーワードを体系的に網羅した本というのは、これまでありそうでなかった。近代絵画以降のアートシーンを紹介した本ならたくさんあるのだが、それでもせいぜいウォーホールやリキテンスタインといったポップ・アートどまりで、それ以降の美術界の事情を知ろうと思えば、浅くて狭い内容の入門書を読むとか、雑誌の特集を拾い読みするとか、各々のアーティストの評伝を読むとか、こまめに展覧会に通うしかなかった。 この本は2つの点で画期的だと思う。1つは、現代美術の動向や概念を個別… 
類語辞典とは似たような意味の言葉をある分類基準に基づいてグループ化した辞書のことで、各語には簡単な意味と用例が付されている。たとえば「書評」という言葉で辞書をひくと同じカテゴリーから「評」「批評」「論評」「時評」「コメント」などといった類義語を芋づる式に参照できる。文章を書く際に「同じ言葉の重複は避けて別の語を充てたい」と思っても、なかなか他の表現が浮かんでこないことが多い。そんなとき非常に重宝するツールです。bk1に書評を投稿されているような方ならぜひとも手許に備えておきたい辞書ではないでしょうか。 英語のシソーラス辞典はわりと存在すると思うんですが、日本語におけるこの手の類書というのはこ… 
世間では『海辺のカフカ』の熱狂もよくやく一段落した。感想に関しては賛否両論あったようだが、素人読者の手放しの歓迎ぶりに反して、メディアの反応はイマイチだったように思う。新聞・雑誌に寄せられたプロの書評を読むと、その多くが否定的なものだった。本に対する評価など個々人の勝手だが、批評家たちの尊大な身振りには改めて吐き気を催してしまった。 評論みたいな仕事は他人のふんどしで相撲をとっているような職業なのに、偉大なるクリエーター諸氏の作品を全面的にこきおろすなんていう所業はおこがましいとは思わないのだろうか。自分にエサをくれる飼い主の手に噛み付くようなまねをして恥ずかしくないのだろうか。だいたい書評… 
立川直樹と森永博志。音楽ディレクターとエディター。この二人が夜な夜などこかのメシ屋かバーで美味い酒肴に舌鼓を打ちながら、時空間を超えて古今東西のカルチャーについて語り尽くす。音楽、映画、本をメインに、アート、歌舞伎、旅、時事問題、などなどマイナー・メジャーの如何を問わずパンクなトーク・セッションを繰り広げる。粋な会話のやりとりを花から花へと飛び回る蜂に喩えたサマセット・モームの金言そのままに、ひとつの話題に固執することなく、小気味よい東京漫才のような掛け合いを展開する。その語らいから垣間見えるカッコイイ中年男の処世術は、これから不惑の歳を迎えようとする年老いた青年たちに恰好の手本となるだろう… 
アヤワスカ。かのウィリアム・バロウズが追い求めたことで知られている究極のドラッグである。幻覚誘発物質を含んだ蔦の一種を主原料に長時間煎じ詰めて完成される。アマゾン先住民のシャーマンたちは精霊と交信し宣託や病気治療をおこなうためにこの秘薬を飲む。LSDの数百倍(ちょっと想像しがたい!)ともいわれるほどの、強烈な幻覚作用があると言われている。この本はそんなアヤワスカに巡りあうまでの旅の記録である。 紀行文というのは誰が書いても面白く読める。「いきおいで旅の体験談を書いちゃいました」というようなノリの素朴な自己顕示本もあれば、藤原新也とか沢木耕太郎以降によく恥ずかしげもなく二番煎じの旅行記を書ける… 
読んでいてケツの穴が焦れたり、知的興奮に震えがきたりするような読書体験はお持ちだろうか。己の理解や想像の範疇を超えた世界が突如として目の前に開示されたときの驚き、そして確たる論拠をもって解き明かされる謎の数々。不可知なものを学び、新たな知の領域を押し広げていく快感が読書の魅力であるとするならば、この本ほど蠱惑的な奇書がありえるだろうか。限られた書評スペースとボクの筆力では本書の面白さをとても紹介しきれないが、それでもこの文章を読んで一人でも多くの人が興味を示してくれれば幸いである。 ロスリン、ティワナコ、グラストンベリー、オリャンタイタンボ、レンヌ=ル=シャトー、バールベック、コパン、ウルク… 
この本の書評に関してはすでに投稿者がおられたが、あまりに素晴らしい英語教材なので今一度みなさんにご購入をおすすめしたかった。自分の英語力に伸び悩んでいたときに偶然本書にであったのだが、「教材なんてどれも同じ」というボクの諦念を見事に払拭してくれた。この価格にしてこのボリュームはかなりグッドバリューである。ほとんどの教材は、表紙のデザインやキャッチコピーだけがやたらと派手で、値段の割に中身が貧弱だったり、付属CDに<気恥ずかしい>ジングルがたくさん挿入されていたりして、買ってからガッカリさせられることが多かった。でも、この本は購買意欲をそそらない地味な装丁にもかかわらず、いざ手にとって内容を確認… 
翻訳の難しさというのは、実際に自分で訳してみないとわからない。原文に忠実すぎると日本語としておかしな文章になってしまうし、かといって自由に訳しすぎるとそれはもう翻訳とはいえなくなる。原文のニュアンスを十全に残しながら、日本語として読みやすい文章を構築し(日本語の思考回路で文章を書くことすら難しいのに)、なおかつ訳者の色を出していくというのは至難の技である。文法の知識と辞書さえあれば誰でも簡単に翻訳できるというような生易しい作業ではない。普段からよく本を読み、文章を書く練習をしておくことも、翻訳者にとっては重要なことなのである。 レトリックの巧拙は別にしても、翻訳をする上でなにより怖いのが<誤… 
週刊誌の巻頭を華々しく飾るグラビア写真。片隅に小さくクレジットされた写真家の名前をチェックしてもらいたい。そこに藤代冥砂という名前はないだろうか? たとえ可憐な少女が被写体だとしても、その写真からはどこかしらエロティックな匂いが感じられる。しかし、その仄かなエロティシズムは被写体から発せられるものではなく、写真家の眼差しのなかに潜んでいるような気がする。「エロである」ということは女性を撮る写真家にとって必須条件だ。この人も然り。女性の魅力を抽き出す手腕は、篠山紀信より上じゃないだろうかと思う。なかでも印象的だったのが、CMでもお馴染みの高橋マリ子ちゃんの写真集『太陽とハチ蜜』。こちらを見据える… 
「深美意識」とはなんだろうか? 表面的な美醜を識別する「審美」とは異なる。それは、己の意識レベルを高めようとする性向、誰からのお仕着せでもない生得的な道徳観、世俗的な欲を捨てた謙虚で慎ましやかな生活を良しとする感覚、のことをいう。深美意識の追求、それは意識の深化であり進化である。経済成長を最優先する世界システムが行き詰まりをみせるなか、人類は新たなターニングポイントを迎えようとしている、と著者は言う。宗教による歯止めがきかなくなったエゴの暴走が近代社会の経済的発展をもたらした。しかし、今後はその肥大化したエゴを個々人に内在する宗教性の発露すなわち深美意識によりコントロールすることで、「深層民… 
日常生活のさまざまなシーンで、自分の意思がうまく相手に伝わらないもどかしさを感じることが少なくない。コミュニケーションがもっとスムースに機能すれば、ずいぶんと人間関係も楽になるんじゃないかと思うのだが、これがなかなか難しい。人間というのは自分勝手な生き物で、意思の疎通ができない原因をつい相手のせいにしてしまう。「自分の出したインストラクションを相手が誤解したのだ」と。確かに、相手の話を聞かない人や話の途中で早とちりな解釈をする人が世の中に多いのは事実である。しかし、謙虚な見方をすれば、情報の受け手にばかり責任があるわけではなく、情報を発信する側にも問題があるはずだ。では、いかにすれば自分の伝… 
サバルタン(subaltern)とは<従属集団>を意味し、元来はイタリアのマルクス主義者アントニオ・グラムシが使用していた概念である。スピヴァク女史を含むサバルタン研究グループは、旧来のインドの歴史やナショナリズムがエリート側から語られるばかりで、被抑圧者側の視点がまったく除外されてしまっている状況を批判し、自ら語ることのできない疎外されたものたちを代弁する新しい歴史記述の必要性を訴えた。この本を読むと、表象の世界でただ言葉遊びをしているような、どこかもどかしい現代思想界にあって、現実にコミットした彼女の力強く踏み込んだ言説に、胸のつかえが下りた気分にさせられる。インド史に限らず、人文社会科学… 

 

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