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綺麗事とは?/ ノーローン

[ 580] 綺麗事と一般論
[引用サイト]  http://www.geocities.jp/kireigoto_to_ippanron/

たまには時事ネタをば。昨日4月30日、借り物の車を持ち主に返そうと運転していると、大渋滞に巻き込まれた。会社帰りの時間帯とはいえ、ここは地方都市未満。そんなに混むはずもない道である。それも進まない具合が半端じゃない。信号が赤から青に変わってまた赤になっても一台も進まないレベル。同じ信号で8回くらい待たされた。別に急ぎでもないが、さすがにイライラが募る。事故か工事かとも思ったのだが、違うようだ。どうもどこかの店に入ろうとしている車が多くて、その後ろが滞っているようだ。最終的に、しびれを切らした車が片側一車線の道を、強引に二車線仕様にして追い越して行った。便乗して後ろに付いていきながら、その行列の先をちらりと振り返るとガソリンスタンド。まぁ察しの良い方はとっくに気づいていたんでしょうが、そうですね、暫定税率復活ってんでその前に給油しようとしてる車の列だったんですね。でも恥ずかしながら、そういった社会情勢を知らなかった。行列ができて交通を乱しまくっているガソリンスタンドを数軒通り過ぎてやっと思い当たって、ラジオでニュース聞いたら案の定ですわ。いやー、でもこういうことがあると本当に政治に無関心ではいられないと思う。新聞取らずにネットで世界の珍ニュースとか見てても駄目だ。これからは社会の動きに敏感になって、国民のひとりひとりが政治を動かしていかなくてはならないのだと思う。そしてどうにかして、公道にはみ出さないようガソリンスタンドの敷地面積を広くしていくべきなんだ。
くだらないトイレの落書きを見た。「備えつけの紙以外はご使用にならないでください」といった注意書きの上に「備えづげの紙以外ばご使用にならないでくだざい」みたいな。笑いどころも独創性もなく、中途半端極まりない。こういうのを書く人間が何を考えているのか知りたい。別に馬鹿にしているわけでも非難しているわけでもない。純粋にその人物の心境が知りたい。例えば頭の中が女性器のことでいっぱいになってしまって、トイレの壁にその俗称を殴り書きする中学生、というのなら分かる。彼らの性欲は理屈を超えるからだ。あるいは振られた腹いせに「○○は誰でもSEXする」といった中傷を名前と電話番号と共に数々のトイレに記していく男、というのも理解できる。彼の目的は排便にはない。はじめからマジックを手に、トイレの扉を開けたのだろう。だが、冒頭の濁点落書きは違う。落書きの主は、元の注意書きを見てからそれを思いついたはずだ。たまたま書くものを手にして用を足していたとは考えにくいから、その後自分のバッグの中から筆記用具を取り出したのだろう。普通の人間はそこまでしない。落書きを思いついてから、ペンを取り出すまでの一手間、その瞬間の心理というのは一体どういったものなのだろうか……。ぞれを知るごどがでぎだら、もう少じ日記が書げる気がずるんだ。
フェティシズム。呪物崇拝。あるいは異常性欲の一つ。フェチという言葉が簡単に使われるようになって久しい。言葉の意味なんて変わっていくものだから難癖をつける気はないが、「俺は○○フェチだから」なんて女の子の前で平気で言ってしまう男とかを見ると違和感を感じる。脚フェチを名乗るからには脚が単品で机の上にどんと乗ってても興奮してほしい。制服フェチにしたって本当に制服そのものに欲情しているのか。綺麗な女の子が身に付けたシチュエーション限定で制服が好き、なんてフェティシズムと言えるのか。ところで先日、靴屋に入って子ども用の靴のコーナーに釘付けになった。小さいながらもきちんと作りこまれたフォルム。成長とともにすぐに履けなくなってしまう儚さ。値段を見てもう少しで買いそうになった。親戚、知り合いを含めても自分の周りに一人も幼児などいやしないのに。怖い? 僕だって自分で自分が怖いよ。
(中島みゆきに興味がない人には全く意味のない日記になった。ところでかつて誰かがこのサイトの日記に興味をもったことがあっただろうか。いや、ない。)ツ○ヤで半額レンタルをやっていた。普段、映像作品を借りることはめったにないのだが、150円なら食指も動く。中島みゆき原作の映画『2/2』を発見。瀬戸朝香とか渡部篤郎とか僕ですら知っている名前があって結構キャストが豪華そうだけど、別に中島みゆき自身が出ているわけではない。半額じゃなきゃ借りない微妙なラインだ。借りた。しかしこれが酷かった。「原作の方が……」とか知った風な口は死んでも利きたくなかったのだが、これは流石にどうだろう、という出来。僕は舞台の方は未見で、小説の方しか読んでないんだけど、この作品の一番大事な部分がすっぽりと抜け落ちている。そりゃ、中島みゆき自身も本業の小説家じゃないから陳腐な部分は原作にもあった。でも何もこんなに駄目な部分だけ抽出しなくてもいいじゃないか。第一にタイトルの『2/2』に含まれる多重性が完全に無視されている。たぶんこんな話題性のなさそうな原作を選んだということは、事の始めには「中島みゆきが好き」という誰かの想いが絡んでいたんだろう。それがこんな結果に終わることが悲しすぎる。まぁ舞台と映画の差もあるのかなと、そっち方面に疎い自分ではあるが類推できる。原作のように主人公1人にスポットをあてていたら映像作品としてはもたなかったのだろう。だから男(原作では主人公の相手役)に余計な設定を加えてしまい、結果としてああいう終わり方にするしかなくなってしまったのだろう。というような生意気な口を聞くためにはせめて舞台の方の『夜会2/2』のDVDを見ないわけにはいくまい。残念ながらこっちはレンタル化されていない。今まで高くて手が出なかったが、この機会に……。買った。150円のレンタルが7140円の出費を呼び込む。安物買いの銭失いってこういうことを言うんだな。
実家に帰った時に2つ下の妹とした会話。「ねぇ、USBメモリっていうのが欲しいんだけど、どこで買えばいいの?」「いや、普通に電器屋とかで……。あれ、でも既に持ってなかったっけ?」「あれは、いっぱいになった」「え?」「なんか写真とかたくさん入れてたら書き込めなくなった」「あのさー、USBメモリってそうやって使うもんじゃなくね。データの持ち運びっていうかさ。ある程度溜まったらパソコンに整理しないと。それでも容量オーバーになったら外付けハードディスクでも買ってさ」「よくわかんない。めんどくさい」「いや、でもさ、そんないっぱいになる度に買い換えてたんじゃもったいないだろ」「それぐらいのお金は稼いでるから」いつまでも学生ですみません。この後、妹にステーキを奢ってもらいました。
昨日のことなど思い出したくはない。当日ならばなおさらだ。三日前のことなど覚えてはいない。一週間経てばその日、自分が生きていたのかさえ不明確だ。伝えたいことがないというのは幸せだということです。労働してもいないのに毎日ご飯が食べられて、寝る場所がある。なにより目指すべき地点がある。僕は幸せです。僕は幸せです。伝えたいことを伝えられないのは不幸せなことだ。何か長い糸のようなものがたくさん体に絡みついている気がする。前が見えないというほどのこともないのだけれど……。とりあえず今日は溜まっている洗濯物を洗ってしまおう。そして日記を久しぶりに書いてみよう。書いた。洗濯は明日。 

 

[ 581] 「きれいごと(綺麗事)」「いのちの電話」等々,年の初めに:ITpro
[引用サイト]  http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20080118/291446/

2008年1月14日の深夜,NHKで「プロフェッショナル・仕事の流儀」の再放送を観た。民放も含めて,ドキュメンタリはどういう理由か深夜に放送されることが多い。それに付き合って,ついつい深夜にテレビを観ることが習慣になった。
番組に登場したのは,82歳現役の鮨職人,小野二郎氏だった。小野氏が店主である「すきやばし次郎」は,2007年暮れにミシュランから三つ星が授与されて,たびたびワイドショーなどでも話題になった。その小野氏が,番組中で「きれいごと(綺麗事)」という言葉を発せられた。「綺麗事」という言葉にはあまりよい意味合いがなさそうに思っていたが,小野氏はよい意味で使われており,そのことに何か納得してしまった。そして,どうして納得できたのか,可能な限り合理的に説明しようと考えた。
NHKの番組では,小野氏のプロフェッショナルな道具として,柾目板で作られた台形の箱が紹介された。「きれいごと(綺麗事)」という台詞を小野氏が発したのは,そのときのことである。この箱は,鮨をにぎる仕事場で使う道具で,顧客の目に留まるものとして紹介されていた。わざわざ職人に頼んで,しかも置き場所に合わせて作った,今風に言えばオリジナルな箱であった。ボーッと観ていたので,その箱に何が入れられてあったかというのは記憶に残っていない(後で番組のブログを読んで,薬味入れだと知った)。
記憶に残ったのは柾目板の箱と,それが顧客の目に留まる場所に置かれているという点,それに「きれいごと(綺麗事)」という言葉(表現)だ。
※NHKの番組ホームページは,「しゃり(舎利)鉢を入れる藁(わら)びつ」を小野氏のプロフェッショナルな道具として紹介している。鮨のしゃり(舎利)を人肌の温かさに保つために,特別に工夫されているとある。また,同ホームページは「しゃり(舎利)」を「シャリ」と表記している。カタカナ表記というのは慣用的に外来語に使うはずなので違和感がある。広辞苑で検索したが,カタカナ表記のシャリは載っていなかった
鮨職人として食材にこだわるというのは分かりやすい。しかも,そこで使われる道具にまで格別のこだわり(あるいは考え,信念と言えるかもしれない)があるのだと感じた。小野氏は天職を得られており,そのために「きれいごと(綺麗事)」という言葉まで,普通とは異なる意味にまで昇華されたのではと思える。達人は,顧客の目にとまる道具にまで格段のこだわりがあるのだ,と認識させられた。
筆者はなぜ,小野氏が発した「きれいごと(綺麗事)」という言葉に取りつかれたのだろうか。そう思って,この言葉の意味を探してみた。
広辞苑には,手ぎわよく美しく仕上げること。体裁をつくろうこと。また物事の実態はそのままで,表面だけをとりつくろうこと。通言総籬(つうげんそうまがき)。よごれないで済ませられる仕事。
どうも,小野氏の言われた「きれいごと(綺麗事)」とは,少し意味が違っている。そこで番組に出演している茂木健一郎氏が書かれている番組のブログ「茂木健一郎・プロフェッショナル日記」を参照してみた。対談相手として,何か記憶に残った言葉が綴(つづ)られているだろうと予想したからだ。
そうか,茂木氏はテレビに映し出された「すきやばし次郎」という鮨を美味しく食べさせる店舗を,「清々しい(すがすがしい)」と形容するのか。しかし,「清清しい緊張感」というのも筆者には少し難しい。事前情報が潤沢にないと,筆者には居丈高な物言いに感じられる。
ブログには,番組プロデューサーが「力強くまた美しい言葉がたくさん聞けて背筋が伸びました」と語ったとあるから,言葉のだけではない“何か”が小野氏の鮨屋にはあるのだろう。どうやら小野氏の哲学,美学というような無意識の向上心を表現する言葉が「きれいごと(綺麗事)」のようだと勝手に解釈して納得してしまった。
ちなみに,いくつかの辞典・辞書を調べてみたが,「綺麗事」という表現にあまり良い意味は出てこない。もっぱら否定的な意味合いで使われている。例えば,Wikipediaでは「偽善」を説明する際に用いられていた。筆者はITproの連載「社会保険庁問題を検証する」執筆のために,今も社会保険庁関連の資料を読み続けている。偽善を意味する「綺麗事」は,それらの資料に現れている厚労省や社保庁の役人,官僚の有り様を言い当てているような気がしてならない。
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