張り切りとは?/ アイフル
[ 391] 張り切り支店長の玉砕日記
[引用サイト] http://kaiseik.exblog.jp/
赴任して早一ヶ月、支店長という仕事に少々戸惑いを覚えながらも、少しずつ長野の風土、人、街並に慣れてきた。いや、積極的に知ろうとして努力をしてきたというべきだろう。これまでの俺の長野人への印象を言うと、とても真面目で慎重。難治の地として群雄が割拠した歴史的背景が、外からの人への慎重さに影響しているのだろうか。そのためほとんどの人が最初から姿勢をくずすことも無く、第一印象はとっつきにくい感じがする。しかし、相手の事が判ってくると心理的許容範囲がかなり広がり、一転心を許してくれるようだ。ただ、ロータリーで知り合ったある社長さんは複雑なことを言っていた。「長野人は真面目で人が良すぎる。だまされる事はあっても、だます事はない」と。地元の人から見るとまだまだ相手に心を開きすぎるってこと?いずれにせよ、最初は真摯な態度でお付き合いしたほうが良さそうだ。 ところで、先週の日曜日は長野電鉄に乗って小布施まで行って来た。小布施は、葛飾北斎と栗で有名なところ。江戸時代は交通、商工業の要衝であったため、その発展とともに芸術、文化も進展したようだ。小布施の豪商であり文化人、高井鴻山が晩年の北斎をここに招いたことにより、小布施の名は全国に知れ渡っている。現在も再現された古い街並み、蔵屋敷を中心に古都の風情が多くの観光客を惹き寄せている。事実、小布施堂や北斎館の周辺は、観光バスが次々に到着し、年配の観光客でごったがえしていた。 俺は小布施駅に2時頃到着し夕方まで、徒歩で桝一市村酒造場、北斎館、高井鴻山記念館、おぶせミュージアム等を巡った。酒蔵では日本酒を飲み比べ、最も俺好みであった純米大吟醸「鴻山」と栗菓子のセットを北海道と茨城の両親に発送。また、北斎館の富嶽三十六景や山車の天井画は繊細かつ独創的。拡がりのある構図と対象的なディテールの細かな筆運び、テクニックが東山魁夷にも通じるところがあり、北斎が天才と呼ばれる所以には至極納得。大いに芸術的な創作意欲を触発され、すぐにでも何かが描きたくなった。散策の最後に桜井甘精堂の本店「泉石亭」で栗ぜんざいを食べて帰ってきたが、小豆がしっかりしてて甘みが少なく感じたのは俺だけだろうか。伝統的な味とは意外に甘くないのかもしれない。まさに長野人? 今日は長野マラソン当日、昨日城山公園で桜を見ながら一緒に飲んだ当社の参加メンバー8名は無事完走できたのであろうか?俺はといえば午前中は自宅マンションの前でマラソン応援、午後は善光寺の桜を見物がてらお散歩。かねがね観てみたかった信濃美術館、東山魁夷館まで足を延ばした。ポストカードサイズではとても感じることの出来ない魁夷の荘厳な世界観に心を奪われ、かつ自分ではとうてい及ばない天賦の才に絶望感すら感じた。 芸術も、マラソンと同じように長年の努力によって完走、技の完成という一定の成果は残せるのであろうが、すべてが努力でなんとかなるものならこれまでのおそらく何百万人という無名のランナー、芸術家の屍は生まれないであろう。画家であれば、描く対象を正確にとらえた後に、自分の感性との調和、融合を図る精神的な作業が必要であり、そこから湧き出た自分の心の動きを忠実にカンバスに表現することが必要だ。対象そのものの模写ではなく、それを感じ取った己の印象、見えないものを可視化して表現することだけでも難しいのに、そこに強い独創を香らせ人に感動を与えるには確かな才能が必要ではないか? そんな先人のすぐれた才能に多く触れることで、自分に潜在する何らかの才能が芽吹いてくることを期待したい。 今日、二年間お世話になった日吉のマンションを出る。全ての荷物を送り出した抜け殻のような部屋を眺め、この二年間を振り返った。自分を間違いなく成長させてくれた二年間。そしてそれを支えてくれたこの部屋はもちろん、全ての環境に感謝したい。「俺はここでも運が良かった」、仕事一筋であまり深く知る事のできなかった横浜に対して名残惜しさはあるが、刻々と変化する街の全てを知ることは誰にも叶わないのだと自らに言い聞かせつつ新たな人生の旅に立つ。部屋の窓からの眺めも大きく変わった。来たときはほとんど見えなかった武蔵小杉の高層マンションは完成して、いまや人が住み始めているという。三丁目の夕陽で感じたノスタルジックな感傷は、平成のこの世においても同様に存在するものだ。その気持ちを大切に抱きながらも、明日からの新たな歴史をこれからも胸に刻んでいきたい。 昨日嫁と次男が横浜にやってきた。転居前の最後の横浜で思い出をつくろうと、江ノ島に行くことにした。幸いに天気も良くお散歩日和。朝少し早めに出て、鎌倉から江ノ電に乗り換え、先ずは江ノ島水族館に入った。江ノ島水族館では、イルカショーで初めて見るイルカと人のコラボレーション。嫁も次男もとても新鮮な印象をうけたようだ。水族館の後はしばし砂浜で次男と戯れ、その後江ノ島に渡りひととおり観光ルートを歩いてきた。海は万物の故郷である。三人とも足に疲れを覚えながらも、大いに心に癒しを得た一日であった。K君、機会があったらまた一緒に海を見に来よう。以上、横浜戦線異常なし。 すりガラスの向こうに大粒の白い影がちらちらと舞い始めた。俺はゆっくりと耳まで湯船に浸かり、身体の鼓動を確かめつつ、湯の浮力にまかせて全身の力を抜いていく。静かに目をつむると体内の細い管を同じビートで流れる音が全身を巡り、汗線から昨晩のアルコールをじわじわと押し出していくようだ。ここは長野のアイランドホテルの大浴場。早朝の風呂場は一人貸切状態である。誰に気兼ねをするでもなく、全身を脱力し湯に死体のように浮いていることも可能だ。俺が最もリラックスできるひととき。 このホテル、実は会社のすぐ隣なのでチェックアウト時間をあまり気にすることなくくつろぐことができる。それに前に泊まったリンデンホテルより洗練された雰囲気だ。長野で四件目に「試泊」したこのホテルは、来客への推薦状に三ツ星を付けておこう。 特別の感慨があるわけではないが、昨日までの俺とは違う、今日からの俺を強く意識して臨まなくてはならない。長野を理解し、愛し、そして北海道、東北の次の第三の故郷とするのだ。長野の自然を愛し、人を愛する。出会う人間一人ひとりと真剣に向き合おう。俺を取り巻く全ての人々の成長を心から全力でサポートしよう。 3/28(金)は中華街で、旧組織の大解散会が盛大に行われた。出向から復帰する俺は送り出される立場であり、次々に仲間が酒を注ぎに来るので酔っ払って完全に記憶が飛んだ。 次の日は仙台に帰りがけ、東京駅で皇太子ご一家が長野にご静養にいくのにばったり会った。雅子様とおそろいのいでたちの愛子様の姿を観て感動。そして、二人を気遣いながら颯爽と歩く皇太子が頼もしく、父親としての家族への深い愛情を感じた。後で長野の北部にスキーに行ったと分かったが、長野の懐の深さは万人に認められているのだろう。これから長野に行く俺にとっては喜ばしいことだ。 俺の最も幸福なひとときである。帰るたびに長男、長女、そして次男のそれぞれの成長を確認し、時には厳しくアドバイスをする。それもこれも家族全員が幸せになって欲しい一心だ。嫁も含めて、俺の家族は俺が責任をもって幸福にしてあげたい。 人はそれぞれの幸せに向けて自らも成長するが、それには安心して成長できる基盤が必要である。その基盤は、詰まるところ生身の人に行き着く。両親、恩師等、全身全霊で受け止めてくれる人がいてこそ、人は大きく飛べるのだ。時にその後押しする側の人は何の得も得られないかもしれない。犠牲になるかもしれないのだ。しかし、俺はそれでもいいと思う。家族でも他人でも、人に対しての無償の愛情の連鎖が、この世界をより良いものにしていくのだと思う。 俺はと言えば未だその境地に辿り着けていないのだが、最近は少しでも人に対して興味を持ち、真剣に考えようと心がけている。他人への深い理解と愛情が、俺自身をより良い人生に導き、ひいては優しい世界づくりに貢献できると信じている。 また今年も桜の花が満開となる。桜は一年に一度人に大きな感動を与えるが、桜の平均寿命は60年くらいらしい。今や人生80年。人も桜と同様、一年ごと開花して人に感動を与えてゆかねばならない。桜の花言葉のひとつ、「心の美」を追求していこう。 久しぶりに読書感想。と言っても、これまで月に五冊程度はコンスタントに読んできた。だから今から全てをブログで紹介するにはエネルギーがかかりすぎる。一冊の読書感想を書くにも、ネタバレしないように書くには努力が必要なのだ。それが著者に対しての敬意というものだ。いや、常識? 俺にとって、特にミステリーやサスペンス推理モノを読むことは、内容への集中力を高め、心配事の多い日常を忘れさせてくれるので大好きだ。最近はお気に入りの大倉山セントラルウェルネスクラブで、ジョーバに乗りながら読むのだ。(どこが集中しているのだか・・・やっと最速の動きでも酔わずに読めるようになってきた。)ちなみに、大倉山のセントラルはトレッサ横浜の四階にある。二階には有隣堂が入っておりそこで本を購入して上がるのだ。 自分がどんな基準で本を選ぶかというと、先ずはミーハーな「このミス」大賞から流していく。書評を読み、その批評と自分の読後感を比較することで、その批評家の評価をしてやろうと思ってしまう。かなり一方的、好戦的かつ尊大な姿勢だが、所詮個人的楽しみであり人畜無害な行為なので許して欲しい。 「チームバチスタ・・・」は最近映画にもなった。この小説のように専門的な業界のウラを、我々素人にもわかりやすくしてくれるのは大好きだ。医師といっても我々と同じ人間で、その倫理観にも大差が無いことを知るにつれ、我々が医師に感じる万能感が取りさらわれるとともに、逆に親しみも湧いてくる。ストーリーは極めて精巧に作られていて、かつかなりユニークなキャラ(白鳥調査官)の登場がエンターティメントを与えてくれる。これは面白いと感じさせてくれる一冊だった。 その後読んだ「ナイチンゲールの・・・」は、バチスタの続編ともいうべき物語。また事件が起こるが、名前の通り今度は看護師がヒロインだ。前作に比べるとかなりウェットな内容で、患者の子供たちに感情移入し、ウルッとくる場面が多い。そして当然、白鳥が登場、それに今回、白鳥の同級生であり天敵とも言える加納警視正がからんでくる。このやり取りもワクワクさせた。最後はとても美しく終わるのだが、バチスタとはかなり違う趣の内容に少々とまどいを感じた。 次は「ジェネラル・ルージュの凱旋」。今度は「ナイチンゲールの・・・」にも登場したICUの「ジェネラル」速水教授が中心の話らしい。さて今日は日曜日だし、早速スポーツクラブにいって馬上読書といきますか。 JR長野駅前の土産物屋で十割そばと信州味噌をそれぞれの両親に送った後、長野新幹線にギリギリ駆け込んだ。この二日間、全く知らなかった長野の顔の輪郭が少しずつ見えてきた。日曜日の夜到着しリンデンホテルに宿泊。こぢんまりとした良いホテルだ。それに夜中まで入れる大浴場があるのもよい。そして昨日17日は午前中社宅の下見。二つの不動産屋に紹介をうけたが、物件が少なくここぞという所は無かった。しかし、なんども下見をするのも面倒なので、善光寺と県庁にほど近い10階建てのマンションの8階角部屋をとりあえず仮押さえしてもらった。その後、午後は現長野支店長から業務の概要について引き継ぎを受け、数件の民間の取引先や県庁を回りご挨拶をした。どうも長野の街は歩いて周れるくらいコンパクトサイズのようだ。んで夜は広島からの異動で同様に引き継ぎを受けにきたTLと新旧メンバー等五名でワインをたらふく飲んだ。新しく来たTLもワインが大好きとのことで、これからの単身生活が少し心配だ。昨晩の宿は長野市では一番という県庁近くのホテル国際21。たしかに高級感も、朝食時のレストランの眺望も抜群だった。 そして今朝早くから善光寺までお散歩にでかけた。ホテルから善光寺は比較的近く散歩にはちょうど良い距離だ。天気も最高。それでも表参道は若干上りになっており朝の清涼な空気を一杯吸い込みながら気持ちよく歩いた。善光寺に着くと既に「お朝事」が始まっているらしく、境内はお経と鐘の音で神妙な雰囲気に包まれていた。創建以来11回も火災にあったというお気の毒な本堂を拝んだ後、授与品所で「まんが ぜんこうじさん」をしばし立ち読みしお勉強。タダ読みはバチがあたりそうなためポイントのみ読んだ。なんと御本尊は秘仏で、誰もその姿を拝むことはできないとのこと。本当に「誰も」?また7年に1度秘仏の本尊の代りである「前立本尊」が開帳され、毎回多くの参拝客が訪れるらしい。代役のお方でも7年に一度とは・・・さすが善光寺。 んで授与品所では両親と子供たちにさらなる面白いモノを探したが、お守り関係が主だった。ただ「厄」という字が絵馬から抜き取れて箱の中に捨てられる厄落とし箱は、ナイスアイデアだと思う。 さて帰り、新幹線あさまに乗り込み先週買った「死神の精度」を読みはじめたが、窓際席で春の暖かな日差しを受けいつのまにかうたた寝。目覚めるとはや大宮に着いていた。大宮まで1時間20分程度、あっという間だ。大宮から乗り込んできたビジネスマンはほとんどがコート無しで、自分の来ていたカシミアのコートが妙に季節外れだ。おそらく、土日をはさみ約6日ぶりの横浜には急速に桜前線が近付いてきているだろう。 ゴゴゴッー、新幹線はやてがトンネルの空気を突き破るように気持よく走っていく。乗客の心にとりついた邪気を吹き飛ばして行くかのように・・・俺は仙台から大宮に向かう新幹線の中だ。今週は13日から秋田のお客様に転勤のご挨拶。雪の残る秋田は、田んぼを縦断する高速道路以外は昔のままだった。14日は夕方仙台の自宅に戻り休暇。そして日曜日の今日、明日からの引継ぎに向けて長野へ移動しているところだ。はやては全席指定であり、席が取れずデッキでカバンを尻に敷いて座っているが、カバンの変形が気になって落ち着かない。この前嫁に買ってもらった折たたみ椅子を持ってくればよかった。実はMAXやまびこの指定席を取ったのだが、はやての仙台〜大宮ノンストップの潔さに魅了され、ついデッキに乗りこんでしまったのだ。おかげで30分以上早く大宮につけるであろう。 キオスクで買った日経新聞の記事やコラムをばか丁寧に読んでいるうちにはや大宮についてしまった。読みかけの日経と飲み賭けの濃いめ伊右衛門をコートのポケットにつっこんだ。いつも思うことは、良質のコンテンツ満載の日経新聞(日曜版)を読んでいる時ほどスケールメリットと言う言葉にうなずかされる場面は無い。これだけ読めるコンテンツが140円。しかもそのコンテンツはリアルタイムな「いまここにある(様々な)危機」から最近流行のエンターテイメントまで幅広い。サブプライム問題や急速な円高、チベット情勢なから75歳以上の公的医療制度の変更についてなどを興味深く読んだ。そうこうしながら大宮で長野新幹線に乗換え、また新聞を開いた。 車内販売の売り子の声が聞こえ、条件反射的に峠の釜めしを買ってしまった。重厚な釜がついて900円、安い。大好きな鶏肉、ウヅラの卵、栗のゴールデントリオにニンマリ。しかしよくパッケージを読むと容器は持ち帰り利用くださいとのこと。「しまった、ここまで考えてなかった(> 日経サンデー版コラム「私の航海図」、今回は甲斐よしひろさん。「自分から発するものがあって初めて、周りが評価したり信用してくれたりするんだと思う。僕にとっては人とのつながりが最も大事。」という言葉に大きく頷く。自分も長野で、公私共々これまで以上に幅広く発信する役割を担おう。そうあらためて決意した。 久しぶりの書き込み。いくらブログから遠ざかっていてもこれだけは書き込んでおかねばならない。何故ならブログのタイトルが変わるだろうから。 うっすらと予期していた事が現実となり、期待や不安、寂しさなどの複雑な気持ちが交錯する。振り返ればこの二年間、全力で走ってきて自分なりにやり切ったという思い。上司や部下に恵まれ、運よく素晴らしい成果を得ることができた。そして安心して任せられる後継者もできた。 来年度からは、これまでとは次元の違う世界に踏み出していく。経営者として、父親として、そして一人の男として、更なる高みを目指していこう。 これまでの自分を脱ぎ捨てるのではなく、過去と現在が間違いなく連続していて過去の失敗もひっくるめて全て自分なのだと認めつつ、長野の大自然の中でより大きな人間に成長していきたい。 |
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