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考えとは?/ マイワン

[ 126] 考えなしにIEを使うのはそろそろやめよう:ITpro
[引用サイト]  http://itpro.nikkeibp.co.jp/members/ITPro/SEC_CHECK/20020903/1/

しかしそれ以上に心配なのが,IE以外のブラウザが市場から消えてしまうことである。このままIEがシェアを拡大し続ければ,他のブラウザは商売にならず,淘汰(とうた)されてしまうことだろう。それは,すべてのユーザーにとって好ましいことではない。「Windowsに最初から搭載されているから」との理由だけで使っているユーザーは,少し考えてもらいたい。
IE以外に選択肢がなくなることは,セキュリティの観点から危険である。IEに深刻なセキュリティ・ホールが見つかって,その対応策がすぐに公開されなかった場合,ユーザーには「ブラウザを使わない」という逃げ道しかなくなる。
加えて,複数のWebページを一つのグループとしてブックマークに登録できるようになった。そのグループを指定すれば,登録されている複数のページがタブを付けられた状態で同時に開かれる。
以前からNetscapeユーザーであった筆者だが,性能の向上と安定性の強化,および今回の“タブ・ブラウザ化”で,ますます手放せなくなった。正式版になって,Webブラウザの右上部に表示される「N」のマークが円形になり,アニメーションが凝った表示に変更されたことも“クール”だ(もっとも,これは好みの問題だろう)。
ダウンロードできるのは,広告バナーが表示される「アドスポンサー・バージョン」で,無償で使用できる。トランスウエアのWebページでライセンス・コードを購入すれば,この広告バナーを非表示にできる。また,メールによるサポートを受けられるようになる。
新版で修正されたのは,主にブックマークやマルチバイト圏のエンコーディングに関するいくつかのバグである。また,Operaで使用しているSSLのライブラリ「OpenSSL」に見つかったセキュリティ・ホールも修正された。修正点などについては,同社のサイトで公開している。このように,変更履歴をきちんと公開していることは評価できる。
IEを使う際には,このコラムでも口がすっぱくなるほど言っているように,セキュリティには十分注意しなければならない。具体的には,最新パッチの適用と,以前のコラムで紹介した「IEを使い続けるための“お勧め”設定」が必須である。
ただし,ここまで機能を制限すると,閲覧できないサイトが多くなるので,自分が信頼できるWebサイトについては「信頼済みサイト・ゾーン」に登録する必要があるだろう。しかし,安易に信頼済みサイト・ゾーンに加えてはならない。そのWebサイト自身に悪意がなくても,最近指摘が相次いでいる「クロスサイト・スクリプティング」のぜい弱性があった場合,信頼済みサイト・ゾーンで許している動作を,攻撃者から自由に実行される恐れがあるからだ。
同コントロールを外部からある方法を使って呼び出すと,ユーザーのシステムにある証明書を削除できてしまう。具体的には,「信頼されるルート証明書」,「EFS 暗号化証明書」,「電子メール署名証明書」などを削除される恐れがある。
今回のセキュリティ・ホールを悪用する攻撃のシナリオとしては,以下の2パターンが考えられる。(1)セキュリティ・ホールを悪用するWebページを用意し,ユーザーを誘導する。(2)セキュリティ・ホールを悪用するWebページをHTML形式のメールとして,ユーザーへ送信する。
(1)については,攻撃者のWebページが該当するセキュリティ・ゾーンに対して,ActiveX コントロールを無効にしている場合には影響を受けない。そのようなページが信頼済みサイト・ゾーンに登録されていることはまずないので,インターネット・ゾーンとイントラネット・ゾーンで「ActiveX コントロールとプラグイン」の項をすべて無効にしておけば,影響を回避できる。このことは,以前のコラムで紹介した「お勧め設定」に含まれる内容である。
「“安全”なプログラム判別に世界180カ国のセンサー・ネットを活用」,米シマンテックの分析担当ディレクタ
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[ 127] 自分を語りたがらない人々 - 深く考えないで捨てるように書く
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/azumy/20070512/1178944146

実は実生活でもいるのだが、実生活ではあれこれ自分について語らなくてもコミュニケーションがとれるものなので、あまり意識しない。ネットだと、言葉をやりとりをしてなんぼ、なので、あれ? と気がつく。
古くからのネットの知人でも、ブログはおろか、クローズドのmixi日記でも、自分自身についてほとんど書かない人がいる。自分の食べたものや、自分の行ったところ、ネタ的なものなどについては、時々簡単に書くが、それについて自分がどう感じたか、は書かない。それなら活動してないのかというと、そういうわけではなくて、他の人のブログや日記はけっこうまめに読んでいる。
他人とつながることを忌避しているわけではなく、自分自身の情報、特に心理的なことや感情的なことについて表に出すことを忌避している。
そういう人がつきあいにくいわけでもない。チャットやメールで話していれば楽しいし、レスポンスが悪いわけでもない。
表でそういうことを言うと余計なトラブルになる、と思っているわけでもなさそうだ。彼らはたいてい、どちらかというと気が強く、ネットリテラシーもわりと高い。変な絡まれ方をしても相手を叩きのめすか、またはスルーするくらいのことは余裕でできると思う。
たぶん、そういう自分の中の心理、思想、論、人格というものを出せる、あるいはわざわざ出そうと思える範囲が狭いだけなのだろう。おそらく、相当親しくならなければ出さない。家族や配偶者レベルでも出さないかもしれない。
それはそれでいいのだが、こういうタイプの人は、自分からあまり、あるいはほとんど発信をしないので、現在のような断片化したネット環境だと、だんだんと距離が離れていく。
自分を語りたがらない人にも面白い人はたくさんいるのだけど、現在のネット環境では、そういう人が新たに居場所を見つけるのは難しいのかもしれないし、そういう人と出会うことも難しい。
友達でそういう人いますわ。メールも会話も、事実や情報を述べるだけの人。で、おまえは何を感じ、何を思ったの?と聞いても、いや別に。だそうだ。すごい情報通で、リテラシーも高いのに。そんな人がblogを開設したというので見に行ったら、まさに事例どおりの内容。最近はサイボーグなんじゃないかと思ってます。
前々から思っていたのですが、たぶん宇宙人なんですよ。だから相手に自分の個人情報をなるべく知らせないようにしている。とオカルトなことを言ってみるテスト。
成人向け同人活動をしています。BLOGはその告知や感想書き込みなどで活用しています。法に触れているわけではありませんがあまり人目のよいことをしているわけでもないので個人を特定されるようなことは出したくありません。あと、友人知人や同人仲間をふくめネタでない単なるプライベートの書き込みは普段スルーすることが多いのであまり読者の興味がなさそうな安易な書き込みで埋めるのもどうかと思ってたんですが。
んー個人情報とかプライベートの話じゃなくてね。自分を表現しない人の話でしょ。>BLOGはその告知や感想書き込みなどで活用しています。これで言うなら、感想書き込みをしない人の話。
このエントリも「自分を表現しない人」並に中身がないですね。そういう狙いで書かれたのでしょうか。内容のない人の自分語りほど鬱陶しいものもないですしね。読まなきゃいいんですけどね。
>ねこっちさんコメントをありがとうございます。サイボーグ! はちょっとすごい表現ですね。聞く(読む)側としては寂しい思いもありますが、内心には感情も考えもあるはずですから、サイボーグということはないと思いますが……ただ表に出さないということなのだろうと思っています。
>kkk6さんコメントをありがとうございます。宇宙人! これはオカルトですね。実はブログ書いてる人の中にもいるかも。
>匿名希望さんコメントをありがとうございます。個人を特定されないためやネット活動に必要ないため個人情報を出さないのは当然の動機だと思います。開設しているサイトの質によって余計な話題を出さないのも、サイト運営の範囲の話ですよね。ねこっちさんもフォローしてくださっていますが、これは軸の違う話かなと思います。
>自分を表現しない人さんコメントをありがとうございます。大した内容がなくても私は書きますが、興味をそそられないようでしたらお気に留めずにおいてくだされば幸いです。
公務員の守秘義務なんかがネックになったりすることもありますね最近はどうでもいいような個人情報でもものすごく大騒ぎされますから
>hitomi0013さんコメントありがとうございます。仕事関係の話や居住地などのいわゆる個人情報は、公開するに注意が必要なのはたしかですね。このあたりは人によって基準がかなり異なり、分かっていてゆるい人もいればそんなことまで?というほど厳しい人もいるので、いろいろとありそうです。
どうかんじたか、をいわない人っておおいな、とおもいます。それもひきこもりとかって特異なタイプでなくて、ネットでも現実でも常識のある人だったり仕事も友達つきあいもできるタイプだったり。たぶん非難されるのが怖いんだと思います。それは「おまえは間違ってる」とかってのではなくて「○○って映画観た、おもしろかった」「えーーー、あれめちゃつまんないじゃん」程度の意見の食い違いでも、本人は「受け入れてもらえない、批判された」とかんじるんじゃないかなあ。そこで「○○という映画は興行収入○○億円、○位」みたいな事実の列挙だと、もしその数字が間違いだとしてもそれは本人の責任ではなく、その数字を発表した雑誌なり映画会社に矛先がいく。。。そのひとたちがどうあるべきというのでなく、実はどうでもよくて、自分もそういうとこあるのでそんな自分とどうつきあっていくかな、と思ってます。
はじめまして。とりあえずエントリーを一読して思ったことを書いておきます。最初にブログを書いていたときは実名で文章を書いていたのですが、自分の住所・職業・友人の氏名などは極力文中に書かないようにしていました。当時自分が置かれていた状況から判断すると、そのような個人情報をネットに載せるのは危険であると思われたからです。ネット上に文章を書くにあたって、「自分についての情報を開示する」ことと「自分についての情報を隠蔽しておく」というバランスをとるのは難しくて、ネット上でコミュニケーションをとるには、「自分についての情報を開示する」方が良いことは分かっていますが、そうは問屋が許してくれない場合も多いと思います。「自分の中の心理、思想、論、人格」というものは自分の人格を形成する上での脆弱性となっている場合が多くて、そこを攻撃されると、けっこうダメージを受けるという場合も多いと思います。(中には、相手の中の心理、思想、論、人格を否定するとダメージが大きいことを知っていてわざと行う人間もいます。)自分を語りたがらない人というのは、そういう感じで何らかの理由で(無意識のうちかもしれないけれど)自己防衛しているのではないか。と思いました。
はじめまして。自己防衛や批判を避けるといった目的以外にも、「ネットでなんでも」への抵抗感と「人とは広く浅いより、狭く深くつきあいたい」の体現が考えられると思います。ネットリテラシーが高いゆえに、ネットを自分はどういう用途で使い、どういう用途では使わないという自分なりのすみわけがきちんとなされている方も多いのでないかと。それでネット上においてあえて語らないことで距離感が相対的に遠いと感じられてしまう、結果的に忘れられてしまうくらいならば、その人との関係性はそれまでのものなのだという見方もあるんじゃないかと。そういうと、なんだかおごったような物言いですけど、そういう人たちなりの努力って見えないところにあると思います。自分がつながっていたい人には自分なりの個別アプローチを使って(直接対話、メールなど含め公的ツール外で)発信していくし、その人たちと大切な関係が築けるように本質的な自分磨きに時間を費やしているのではないかと。多くの人に伝えたい意欲がない自分の考えについては、公的な発信手段を選ばず、伝えたい個人に違う媒体を選んで伝える。そういうのって、あるかなぁと思います。タイプの一例として。
「自分を語りたくない」のではなくて「自分をうまく語れない」という人も居ることを忘れないで欲しい。単に言語化が苦手なだけで「自分をうまく語れたらいいのに」とコンプレックスを持っている人。そういう人も多いと思う。
>blogenさんコメントありがとうございます。おっしゃる通り、自分の内面を(特に不特定多数に対して)表出することは、ある人々にとっては非常に恐ろしく危険だと感じられていると思います。そういう場合に無理に表に出すべきとも思いません。どちらかというと、そういう人がいることを知っているのに、ふと意識から落としてしまいそうになる自分への自戒みたいなところもあります。
>kinghuradanceさんはじめまして。コメントをありがとうございます。blogenさん宛にも書きましたが、自分の内面を表出することは自分の内面を不特定多数に対して危険に晒すことでもあります。それゆえ最初から表に出さないことが賢いやり方の一つであることもまた事実なんですね。むしろ、表に出さない人のほうが慎重にものを考えて、冷静に自分を見ているという場合もあります。自己防衛という視点は、非常に納得がいきます。今回の記事ではいわゆる個人情報(氏名、居住地、年齢、職業など)については考慮に入れていませんが、内面を表出しない人は往々にしてこういった個人情報についても非常に厳しく管理しています。ネットを利用しつつも、ネットというものに対して全く信用を置いていない、という面はあるのかもしれません。
>ふむさんコメントをありがとうございます。「人とは広く浅いより、狭く深くつきあいたい」、これはよく分かります。ただ、私もどちらかというとそういう考えなのですが、実際に他人と交流をもつかどうかとは別に、自分の内面をこうして書き記したいという気持ちはあります。そのあたりの差異はどこからくるのだろう、という興味はありますね。>>そういうと、なんだかおごったような物言いですけど、そういう人たちなりの努力って見えないところにあると思います。これは、その通りだ! と感じました。まめにメールしたり、mixiであちこち読んで回ったり(あしあとがつくので分かる)。コミュニケーションをとっていないわけでは全然ないんですよね。むしろ非常にまめです。コミュニケーションのとり方が違う、あるいは自分がコミュニケーションだと感じる範囲が違う、ということかもしれません。または、コミュニケーションとして苦になる範囲が違うとか。そんな感じですかね。
>aokimichiさんコメントをありがとうございます。「自分を語りたがらない」には、語ることに抵抗があるゆえに語らない、ということも含んでおり、語ることへの抵抗は、うまく語れないから、という理由もまた含みます。そういう人も含めて、「語りたがらない」人は、ネットシーンにおいて、語る人同様に価値があり、いろいろな考えを脳裏に喚起しているに違いない存在であるのに、どうしても意識にのぼりにくく、環境的な事情から、その存在について注視されづらくなってしまう。そういう状況に対して、惜しいと感じている、というのが自分の一番生の感覚でしょうか。これ以上うまく言語化できなくてすみません。
> azumy さん「惜しい」という感覚分かります。考えを表現できないというのはすごくもったいないと思う。僕の中では「語る人」と「語らない人」が居て、「語らない人」の中に「語りたがらない人」「語りたくてもうまく語れない人」が居るという関係図のイメージ。梅田望夫さんのウェブ進化論じゃないけど、「語りたくてもうまく語れない人」にとってブログのような道具は大きな可能性を秘めていると思ってます。
あぁ、このエントリーまさしく自分です。こうやって名前隠して投稿するところとか(笑)少し前までは、ネットで自分の情報を出すのは危険だ、と言う認識が一般的だと思っていたのですが、mixiなどで自分の知人が個人情報や友人の情報、今日何をしたのかを克明に書き出しているのを見てちょっとビックリしました。確かに最近のwebは「自分を語る人」向けのツールで溢れていて、私のように「自分を語らない人」にはちょっと違和感があります。
>aokimichiさん>>梅田望夫さんのウェブ進化論じゃないけど、「語りたくてもうまく語れない人」にとってブログのような道具は大きな可能性を秘めていると思ってます。同感です。ブログのペースは掲示板ともチャットとも違っていて、他のサービスではうまく語れなかったけれど、ブログならばできる、という方もいるだろうと思います。語りたくない人が語る必要は全くないですが、語りたいのにうまく語れない人が語れるようになるのは、素敵なことですね。
>まさしく自分さんコメントありがとうございます。>>確かに最近のwebは「自分を語る人」向けのツールで溢れていて、>>私のように「自分を語らない人」にはちょっと違和感があります。ここ、まさしくそう感じます。特に、この1年くらいで急速に変化した感があります。ケータイ文化とPC文化が近づいたという感もあります。変化が急激なので私のような年配者にはなかなかついていけません。今のよさもいろいあるので、昔のようであればいいのに、とは思いませんが、いろいろ変わったなぁ感はありますね。
こんにちわ。昨日からはてなをはじめたパソコン超初心者です。僕はあまりのパソコンスキルの低さのせいで”語るに語れない”です。一本指でがんばります。よろしくです。
>taroboさんこんにちは。コメントありがとうございます。打鍵が遅くても、ブログなら問題ないですよ。ゆっくり自分のペースで打ち、話をまとめることができます。パソコンもはてなもどうぞご自身のペースでいっぱい楽しんでくださいね。
私はこれを読んで気分を害した。なぜかというと、あなたはどうなんですかと思ったからだ。そして、自分を語る理由として、面白い人であるというアピールの意味をそこに汲み取ったからである。面白くない自分を語ることだってありえるではないか。一方的な決め付け的な物の書き方に不快な思いをした。語るということは興味を向けてくれる人が居たときになりたつわけで他人に心から関心を向ける人が社会にどれだけいるんですか。勝手なこと言わないでください。
>azukicatさんコメントをありがとうございます。azukicatさんが記事のどこからコメントのような内容を読み取ったかは不明なのですが、不快に感じたということは了解しました。不快にさせて申し訳ありません。ですが、私はこれからも勝手なことを書くと思います。ネットで発言する以上、そういう側面をなくすことはできません。ご期待に沿えず、重ねて申し訳ありません。もしまたご不快なことがありましたら、ご指摘くだされば幸いに存じます。
私もあまり語りたがらない、語らない人間だと思う。私の場合、感情の起伏が少し人より狭いからだと思っている。日々の生活に対して(他の人間はどうだか知らないが)劇的にブログなどで伝えるべきニュースがとくにない。しかも、ブログとは公表するものだから、読み手になんらかの伝えたいことがなければと勝手に思っている。つまらないブログは果たして公開する必要があるのか?つまらないという感覚は人それぞれだが、人並みの感想を述べるだけの、しかもそんなに日々の生活に変化のない自分が、語りたいとは思わない。ただ、自分に自信がないということもある。自分のことを否定されるのもこわいし、普通というカテゴリーから外れた人間と見なされるのがこわい。かといって、人のことが気にならないわけではなく、むしろ、他の人間は日々の生活の中で何を発見し、何を思って人生を生きているのだろうと思うから、他人のブログをのぞきにいったりもする。(自分の感受性に問題があるのか?)しかし、私の場合、見るだけ見て、発言しないというのはフェアではないと思うから、一応は発言したりはする。しかし、こういう場において、積極的に発言する者たちがこういう疑問を投げかけ、ある程度発言しなれている者がそれに答える(コメントする)というかたちであると思う。何にしろこの記事は、「発言しない人は何なんだ、自意識過剰なんじゃないのか。自分たちは発信しているんだぞ。」的な発言する者のほうが偉いような風にとれる。だいたい。ブログなど、個人的なことを自ら公表し、それに反応がないといって不愉快になるのはお門違いだし、(なぜなら、自分が公開したくて勝手に公開してるのだし)、また、発言しない人にだって発言しない自由があるのだし、自らの事を知られるのが嫌いだという性質というものがこの世に存在するのだ。(もしかしたら、生い立ちなどが不幸なのかもしれないし)。そういう人間をあーだこーだと推察・討議・自己満足な結果を得たところで、発言しない人間の性質は変わらないし、何の役にも立たない。どれだけ言ったところで、ここの発言者の多くは発言する人間なのだということを理解していなければならないと思う。
>kotaroさんコメントをありがとうございます。直接kotaroさんのみ宛のコメントというわけではないのですが、>>何にしろこの記事は、「発言しない人は何なんだ、自意識過剰なんじゃないのか。自分たちは発信しているんだぞ。」的な発言する者のほうが偉いような風にとれる。ととっていらっしゃる方が意外と多いことに驚いています。それゆえ追記もしましたが、それでもやはりそのようにとる方がかなりいらっしゃるようです。ネット著名人でもないその他大勢(いわゆる雑魚)の一人である私が「こう思う」ということを言った程度で、これだけの方が反応し、中にはなにか怒りか不快か、あるいは不安や危機感、そういう感情をもつ方もいらっしゃる。「自分を語る」ということは、ネットにいる人にとって、なにかネットにいること自体と深く関わる、そして危機感を抱きやすいスイッチなのかもしれないと、今回の反応の数々を見て思いました。失礼ながら、kotaroさんのコメントもそういう流れの一つとして拝見しました。むしろ内容的には、特に後半は私が書いたこととかなり共通点があると思ったのですが。私が読み違えていたら申し訳ありません。
はじめまして。コメントさせていただきます。この文章を拝見させていただいて、まさしく自分のことを言い当てていると感じ、共感しました。僕は、リアルでは知り合いの人から、変人、宇宙人と呼ばれているのですが、そのことについて、別段反論する気もなくそれでいいと思っています。自分自身について、よほど親しくなった相手でないと語りたくない。ある意味では、閉鎖的な性格です。でも、その閉鎖的な性格でも、リアルではある程度生きていくことができる。自分の文章が、文章的にまとまっているかどうかわからないのですが、そういう自分、そういう人でも市民権とはいかないまでも、変人扱いされることなく生きていける世の中の受容性が広がれば、個人の多様性を受け入れられる社会になればと感じていたりします。
>zoneultraさんはじめまして。コメントをありがとうございます。リアルでは、心情をあまりあからさまに見せなくても、表情やちょっとした動作などである程度は窺うことができるので、ネット上に比べると、あれこれ自分を語らなくても関係を保ちやすい、ということはありますね。極端な話、黙って相手の話を聞いているだけで存在感のある人もいますし。自分を語らない人も決して珍しくはないので、それだけで変人ということもないなあ、と私などは思いますが、宇宙人というキーワードは、最初のほうのkkk6さんのコメントにも出てましたが、ちょっと面白いです。不思議な人、謎めいた人、手の届かない人というイメージなんでしょうかね。
>BLACKBIRDさんうわ! 今頃になってコメントに気づきました。どうもありがとうございます。見落としてしまって申し訳ありませんでした。意図的にとばしてしまったわけではありませんので、どうかご容赦ください。画面認証については、スパム対策をすると自動的についてきて、はずすことができないものらしいです。噂ではかなり見にくいと聞いてましたが、はてなIDでログインしていると出ないので、どのくらい読みにくいものか存じませんでした。ということで、見づらくて申し訳ありません。

 

[ 128] 使いやすさを考えてみる。(アクティブシニア・シルバー層の現場から)
[引用サイト]  http://mamico.way-nifty.com/

使いやすさと伝わる言葉について考えてみる。毎月1000人以上のアクティブシニア・シルバー層と接する現場からシニア・シルバーマーケットの解説をしています。いわば、団塊世代を中心としたシニア・シルバー層の実況生中継?ブログです。
ふむふむ、50↑の伸び率はすごいね。っというのも、まあ、残されたパイがここしかないからね、という話でもあるのですが。とにかく、シニア層が増えている。
使える人たちがシニアになったというのもありますが、どうしようもなくて使わざるを得ない状況に追い込まれているというのも本音でしょう。
先日、ヒアリングで「なぜパソコンをはじめたの」という話になった時に「だって、もっと簡単になるのを待っていたら死んじゃうし、今どき使えないと本当にいろいろ不便でもったいないのよ」とおっしゃっていた70歳前の女性がいたが、そう、もう使えないとそろそろ仲間外れになる。
ところでじゃあ、インターネット何見てるのよ、という話になると2ちゃんだったり、Yahoo!だったり、「ふつー」なのである。「えー、見たいもの見てるよー」と特にシニア層向けのものに限ったわけではない。とにかく見たいものを見ている。
技術評論社さんが出しているウェブサイトエキスパートという雑誌に数ページ書かせて頂いているのですが、現在発売中の号に以下のようなことを書いた
30名の50歳〜65歳の方に各社シニア向けサイトの画面キャプチャを見せながら「これらのシニア向けウェブサイトをご存知ですか」という質問をした時,「使ったことがある」と回答された方は2名でした.また,多くの方はYahoo!セカンドライフやぐるなびシニアを見て「Yahoo!は使っているけどセカンドライフは使っていない」「ぐるなびは利用しているし,重宝しているけどシニアは知らない」とコメントしました.
それもそのはずです.例えば[田舎暮らし]について情報を知りたければ[田舎暮らし]と検索するだけです.わざわざシニア向けウェブサイトに行ってあるかないか解らない記事を探す必要はありません.
「僕がもし見るとしたら同年代がどういうことを悩んだり考えたりするかをチェックするため」(63歳男性)
「(ぐるなびシニアを見て)高齢者も連れていける場所一覧なら見たいけど,自分は若い人と大して変わらないから見る必要がない」(63才男性)
このように,パソコンを普通に使っている方からは「特にYahoo!ニュースやmixi以外のコンテンツを必要としていない」「敢えてシニア向けとくくられたコンテンツを見たいと思わない」「シニア向けというのは情報が少なそう」などネガティブな意見が並びました.
男女とか、年代とか細かく分けるともっと面白いかと思うのですが、そうそう、クラブツーリズムを除けば30歳代男性、と言われても解らない気がします。ああ、30歳代がおやじくさいだなんて何とも言ってません。そんなこと、滅相もない。(群馬大学はよくわからないので、とりあえずみなかったふり。)
つまり、必要なものをシニア層は見たいというわけだ。別に年だから特別コンテンツとかではなく、もしそれが見たいものであれば見るはず。リーチさえすれば。
そのためには、シニアだからシニアシニアシニア!と考えずに、うーん、自分が年をとったらどうだろな、という視点を入れてみてもいいのかもしれない。
さらに、うちはシニア向けじゃないので、と仰っている方に、上記の上位サイトがどれがシニア向けなのかということを踏まえた上で、シニア向けとか意識しなくてもシニア層はあなたのサイトを使ってしまうし、使えなければよそに行くだけなんだ、ということも頭の片隅に、すこぉし残していただけると嬉しいですね。
しかし、皆さん、株好きですね。というよりも、株がしたくてインターネットを始めた人は多いので、そういう絡みもあるのでしょうが・・・
最近すこぉしばかりバタバタしておりまして更新が遅れ遅れになっております。まあのんびりとやっております。今後ともよろしくお願い致します。
50歳からの、という言葉に触手が伸びない。置いてあるだけでは誰も持っていかない。遠巻きに雑誌を見ている
とはいえ、配布しなくてはいけないので、「まあ、取り合えず読んでみましょう。プレ創刊号はタダだし。」と無理やり持ち帰らせる。
私の前で渡されたおばちゃんが「それってどういう意味?」と手渡されて複雑そうな顔。(どうやってみても50歳以上じゃん!複雑な女心?)
ところが、弊社で雑誌を渡された人たちが次いらした時に口を揃えて言った。「あの雑誌楽しいから定期購読したわよ。」「あの雑誌見てクルーズ申し込んでみた」「喫茶店とか友達と行く事にした」
今まで、雑誌を読んでいるという人はほとんどおらず、雑誌を読む機会は女性ならば美容院もしくは銀行というのが主であった。どんな雑誌を読んでいるのかはいつも私の疑問だったので、いろいろな人に聞いたことがあるが、特に読んでない、という答えばかりだった。
雑誌を読んでいる人に出会っても、読んでいるのはオレンジページ等の料理系が多く、旅行等はDMが送られてくるから必要ない、読むのが面倒と口を揃えて言っていた。
実際、配布している時も「いらない」という答えも多かった。「まあ、いいから。」と持ち帰らせ、そして、読ませる。読むと楽しいから定期購読をする。
「たぶん、うちのサンプリング先で定期購読する人いないんじゃないですかねー」と言っていたのが良い形で覆された。(あ、もちろん内容が充実しているから皆さんが定期購読するわけなのですが)
とある商品のモニターも数名にしていただいているのだが、最初のころは「難しいのは嫌」「面倒くさい」「説明書を読みたくない」とダダこねていた皆さんが、今では「これが発売されたら買いたい」「面白い!」
今期の新宿区のIT講習会では目的別講座をいくつも設けてみた。これをつくるための講座です、などなど。なのに、それはあまり人気がなく、結局人気があるのはワード、エクセル講座。こんな名前では何ができるか(まあ、ワードとエクセルだけども)解らないのにこれらの講座は倍率が高い。反対にインターネットでお得に買い物をしよう、とか、チラシ作成講座などは倍率が低い。
シニアへのリーチは他人からの影響(または強制)、そして誰もがやっている状態を作り上げること(みんなやってるよ)が重要なのかな、とコレカラを見ながら考える。
#先生は修道院に住んでいらっしゃるので、現在は先生をしていなくても会うのが容易なのです(なのに19年もご無沙汰・・・)
よく解らないが、パソコン教室もパソコンメーカーもウェブ制作もシステム構築も、たぶん知らない人にとってはすべて「コンピューターの会社」。まあいいやと「まあそんなもんです」とにっこり。
「ねえ、ひとつ解らないことがあるの。いろいろなものをインストールするでしょ?その時にウィンドウズアップデートはできたけど、マイクロソフトアップデートができなくて、プロバイダに電話して送ってくださいと言ったのに、言っていることがよく解らないの。プロバイダを変えたほうがいいのかしら。」
頭の中にウィンドウズアップデートとマイクロソフトアップデートが違うものだという知識が入っていればよかったのに、生憎入っていなかったため、解ることはプロバイダではない、ということだけだった。あとは、OfficeUpdateのことかな、とも。
とりあえず、メールアドレスと住所と電話番号を渡し、連絡をいただければこちらから調べてメールをすると返答。
「すごいわね、○○さん、パソコンすごいできるじゃない。インストールとか言って、すっごい解っているのね」
と、のほほん系の会話が続いたのだが、私は混乱した頭を抱えながら、ああ、インストールって言葉の響きってかっこいいよね。と思っていた。
シスターと二人に戻り、話していたらシスターが突然「私、スーパーモーニング覚えたいのよね・・・?あれ?スーパーモーニングだっけ?あの、みんなの前でしゃべる時にスライドとかで見せるの」
ちなみに、シスターは英語は日常会話、スペイン語ももちろん日常会話程度なら問題なく話せる・聞ける方である。それでも慣れない言葉というのは難しく感じるんだなあ。そのほかもいろいろな方からの即席質問会のような状態で、言葉の問題はとっても大きいのかもしれない、とつくづく感じた。
そういえば、学生時代に、某通販会社のテレオペをしていたのだが、職種のところに「ジム」と記してあり(法人が多かった)「なんでみんなこんなにジムに勤めているのだ?」と思い、人に聞いたところ「事務」であることが判明したことがあった。どうでもいい話。
実は、この部分に「もはや老後ではない」(もはや戦後ではないをもじった)というタイトルを差しておいたのですが、それは却下されたらしい。
であれば私はミソジとしての自覚があるかと言われれば、自分が思っていたミソジよりはるかに幼くて、いまだにあほなことばかりしている。(私の大学時代の人生計画ではすでに子どもが3人いる予定だった。大量の孫に囲まれて死にたいのに。)
ウェブサイトを作ったがフォルダがめちゃくちゃ。ファイルがデスクトップにあったり、マイドキュメントにあったり、USBメモリにあったり・・・。
使える人には信じられない話だろうが、初心者に(初心者でなくても)ファイルとフォルダの関係を感じさせるのは非常に困難である。
ちなみに、昨日いらしたT女史(70歳代後半)は「私の書類はワードの中に入っている」を繰り返し、新人のSが涙目になっていた。「僕の言いたいことが、うまく伝わらないんです・・・」彼は入って日が浅いので、全く解っていないということがどういうことなのかわかっていない。
自動車に軽ガソリン?を入れて「ばかばか」と一時期盛り上がっていたけど、正直、車に乗らない・仕組みが解らない私にとっては、なぜガソリンに種類があるのかすら解らない。っていうか、排気量というのをずっとガソリンの量だと思っていた。意味が解っていないということは、解っている人の考えを超越して意味が解らないのだ。私が車についての質問をすると、質問を受けた人は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をして「意味が解らない」というが、意味が解らないことすらも私は解らない。ちなみに解説を受けても理解できないので、車に対する質問をするのを出来る限り控えている。車は前に進めばいいのよ。だから私は上質を知る人のゴールド免許。(というなの身分証明。乗る気なし)
車の話で脱線してしまったが、パソコンが使いやすくなったおかげで、基本がわからなくてもなんとなく使えてしまう人が増えている。それはうれしい話とするべきところなのであるが、少し「応用」をしようとしたときに直ぐに爆発する。応用というのは、解る人にとってはたいしたことじゃないこと、どちらかというと、それは基礎だ!と突っ込みたくなるようなことが、とてもとても難しい。
じゃあ、簡単がいいのなら、ここまでの制限がありますよ。ということを伝える。簡単と努力は少しばかりトレードオフだ。
「人によって難しいの定義が違います。」と私は言ってみた。「今、なさりたいことは基本部分なのですが、とても重要で、基礎を勉強する必要がありますよ。」
包丁の握り方?プロになるんじゃないから別にいいの。そういう小難しそうなこと好きじゃないの。私はただ単に、手作りの蕎麦を打ちたいのよ!
以前、とある新製品をお試しで使っていただくのに、箱を渡した瞬間「わたし、こんな大きいハコ無理!!!」と絶叫した人がいた。箱。箱ですよ。ただの箱。何が無理なんだ。大きいといっても、私が昔バレンタインにあげた伝説の鳩サブレ50枚の箱よりは断然小さい。(女性の皆様、バレンタインに鳩サブレ50枚、結構評判良かったですよ。あんなにネタになったものは過去にももらったことがないと褒められました。KY)
例えば、abcdという数字があったとき、a+b+c+dが3の倍数のとき、abcdが3で割り切れることを証明せよ。などの問題です。答えを出してチェックしてもらい、回答に矛盾があると容赦なくやり直し、です。(正解は直ぐには渡されません)とんちっぽくって爽快感を味わえます。出席者の皆さんも少し興奮状態でした。数学楽しい。
学ぶ人はキレにくい。と、先日言い切ったが、それは私の中の仮説に過ぎないと数日、かなり思い悩んでいた。本当かな。本当なんだろうか。40歳代〜60歳代には実感値としてそんな気があるけど、もしかしたら後期高齢者には学ぶ以上に、何かがあるんじゃなかろうか。
モリー先生と火曜日を読んだあとに、死にゆく人々の言葉を読んでしまったということもあり、老いる、死ぬ、ということを考えざるを得なかった。
すごくいい人だった。私に「高齢者と使いやすさ」について考えるきっかけを与えてくれた方だった。その人のことをふと思い出した。
あまりにも悶々と考えて、いろいろな人に迷惑をかけそうだったので、いっそのこと、それならば聞いてみればいいじゃないかと仲良しの84歳の家にパソコンの調子を見に行くという口実で遊びに行った。
私と84歳の飲み会はもう5年前くらいから続いているのだけど、この方は本当に素敵老人だ。色々な事を考えているし、私の若さをうらやまないし、そして、今を楽しんでいる。
「はーい」と手順を教える。もちろん、詳細なメモつきだ。高齢者の場合、言葉で書いても解らないので画面をキャプチャで取るか、もしくは絵を描いて手順を説明しないと後で見返したときにわからなくなってしまう。
「ここですよ」と私が指し示すと「ああ!さっきも聞いたのに、じじいはやだね。直ぐ忘れちゃう」と仰る。確かに、彼と付き合いだして5年、以前よりも、瞬間的なものを覚える力が減っていると感じる。
前は「おー、まみちゃん、やっといてねー!」という感じだったのに、覚えられないということはどれだけ怖いことだろう。その努力の中に、ものすごく老いを感じてしまった。
今の老いを認めない風潮は、限界があることに対して見なかったことにしているように見える。自分だけは年をとらないという幻想。特に今の若い方。
もちろん、楽しくあってほしいし、そのためにいろいろなサービスをシニア向けに展開もしている。各社ともに。
しかし、老いたら新しい事をはじめるのに若い人の数倍努力が必要になるということは誰も言ってくれない。自分たちの両親はこんな年でこんなに若くはなかったから、老いる見本がない。
特に、シニア向けパソコン教室と対外的にうたっているため、「うちのソフトがどれだけシニアにとって使いやすいか」という売り込みがある。
「例えば、随分前のネット調査で、2.8%の人しかマイピクチャの中でフォルダわけできない、写真が混在してしまうというのが悩みだというのが出ました」
「ですから、我々のソフトは、その分をひっじょー!に簡単にいたしまして、マイピクチャーの概念を外せば云々」
多くのシニア層は「デジカメがしたい」が、何がしたいのかよく解っていないし、フォルダがそもそも解っていないので、マイピクチャーに入るとか、よく解らない。そもそも、撮った写真をどうにかできる、という概念が薄い。だって、今まで写るんです使っていた人が、どうにかするなんてことは考えられないもの。
(うーん、そう思うのかあ。そんなことないんだけどなあ。みんな何か学びたいと思っていらしてくださってるのになあ。簡単ばかりがいいことじゃないのになあ)と心の中で思うが、反論する息継ぎの時間がないので、スルー。
「こんなに解りやすいソフトでも、シニアの方は使えないのです。なので、パソコン教室の力を貸していただきたく。」
シニアが使えないんじゃなくて、シニア層が使えないときにだれに一番最初に頼るかって娘とか息子とか、そういう人たちなんだ。
ああいう高齢者になりたい、ああいう高齢者にはなりたくない、うちの職場ではそれを実感できるだけでも十分に素敵な職場だと思っております。自分の50年後の指針ができます。
高齢者の方と普通に話せる、昔の事を聞ける、古いものはあっても、私は改善の中に歴史があると思っております。温故知新という言葉があるように、古いこともきちんと知って、イクナイ歴史を繰り返さないようにする、ということも必要だと思う。
昔から実際、めっちゃおじさんにもてまくってました。(私は童顔なので、たぶん理想の娘(小学生頃/パパ大好き、時代の娘。)に見えたんでしょうね。居酒屋で隣の席のおじさんに普通におごっていただけることが何度もありました。「娘もこんな可愛い時代があった」だそうで。理想の小学生のような娘とウィスキーを飲む会(笑))
しかし、この仕事を始めてから、今までの「おじさん」「おばさん」から、「人生の先輩」と認識できるまで、年をとるってことは素晴らしいということに何度も気づかされました。おじいちゃん、おばあちゃんはつえをついてよぼよぼしている存在から、知識をもった、歴史を作ってきた人であるということを何度も認識させられました。
歴史は常に試行錯誤です。正しい、正しくないはありません。ただ、そこにすべての人が関与してます。もちろん、私も。素敵老人も非素敵老人も、みんなで歴史を作っている。なので、高齢者の意見を必要としない、ということは非常にもったいない。
ただし、素敵老人は多くありません。素敵独身男子と同じくらい発掘するのが難しい(笑)。しかし、存在します。大好きです。愛してます。時折胸キュンもします。すごく素敵な年の取り方をしたなあ、こうなりたいなあ、と話す度に思います。酔っぱらうと隙あらば腕とか組んで歩いちゃいます。
やや素敵老人は結構多いです。お話も面白いです。時折、「古いなあ」と思うことはあっても、素敵だと思います。申し訳ないですが、あまり胸キュンはしません。
もう一度いう、大人として成熟できず、我慢のなんたるかを知らず、ついカッとなって暴走するのは、20代ではなく、60代以上の年齢層において激増している。このエントリでは、事象の裏づけと、なぜ最近の高齢者がキレやすくなっているかについて考察する。なお、「高齢者」「老人」とは、60歳以上の日本人男女を指している。
「暴走老人!」にて藤原智美は、なかなか面白い分析をしている。要するに彼・彼女たちは「待てない」のだそうだ。歳を取るほど時間が早く過ぎていくという焦燥感が、予期せぬ「待たされる時間」に遭遇したとき、発火点となって感情爆発を引き起こすという。寛恕の心とか、「がまん」って言葉を知らないんだろうね。
あるいは、昔と異なり、「周囲から尊敬されなくなった」ことが理由としてあげられている。時間の流れがゆるやかだったときは、その経験が若者にとっても有益だったが、いまでは、老人が持っている知識・経験を下の世代がまったく必要としていないことが一因となっている―― そんな指摘もある。
ただ、教えていると待てる人と待てない人がいる。若い人は理解が早いから待つ必要がない。高齢者になると待てない。たとえば隣の人が質問をしているときに平気で割り込んだりする。50歳代もそういうのがある。
入会時に自分が年なんだから、自分を尊重してほしい、という意見も挙がる。「後ろを向いてください。あなたは決して年を取っていないのです」と私は笑顔で言う。すると、少し恥ずかしそうに「ああ、あんなおばあちゃんでも頑張っていらっしゃるなら私もがんばれるかしら」と仰る。(あなたも、十分に、ご高齢ですが?)このせりふをぐぐっと一気飲みする。
パソコンという言うことを聞いてくれない機械。クリックすると怒られる。(エラーメッセージのことをご高齢の人はみなさん「怒られた」と表現する。ちなみに、セキュリティ警告も怒られるものの一つ。)
学んでない人は、学ぶ姿勢がない。学んだ人は我慢がきく。これは、本当に本当。答えが出ない時間を受け入れられる。学んでいない人は、答えがすぐに出ないといらつく。
肩書きがある方、という言い方は好きではないが、努力して、上まで上がった方ほど、考えることが習慣づいているので、考えることを厭わない。(これは肩書きがない人は努力ができないという意味ではなく、肩書きがあった人は比較的努力をする人が多い、という意味。学歴主義でも、肩書き主義でもない。)
反対に、学ばない出来てしまった、学校の勉強なんて嫌いさ、勉強なんて何の意味がある。という人ほど、まずは「考える」ということがどういうことかということが解らないと前に向けない。奥様でも、「私、お勉強が好きで、昔から本を読んでいたのよ。」という方は、解らなくても学ぶ、キレずに学べるが、「私ー。昔遊んでばっかで、勉強なんて全然したことなーい」という方は、比較的キレやすい。「解るように教えてよ!」とヒステリックに叫んでしまう方はそういう傾向がある。
ご紹介したエントリとは少し違うが(犯罪ではないので)がまん、ということを知らないという点では同じかと。
愛する・愛されることに結果(テクニック・直線思考)をだしたがるスイーツ(笑)雑誌の吊革広告を見ていると、自分たちの未来がちょっと不安になる。
しかし、それであきらめてはいけない。手を変え品を変え、理解を促す。シンプルに、概念を記憶してもらうよう心がける。伝わる言葉を話す。それが我々の仕事である。やりかただけを提案するなら、本を読めばわかるわけだし。
「いい?伝わらない言葉は、言った分二酸化炭素が増えるし、エネルギーも使うし、それはただの無駄だからね」と言い聞かせて彼は初めて現場に出た。
途中でいらしたのが、Sさん。Sさんはパソコン自体があまり好きではないし、好きでないうえに仕事で使わなくてはいけないため、すごく焦っている。だから、今得た知識をひたすら頭に流しいれて、それはまるで川の流れのようにとどまることを知らない。だから、応用が利かない。やりかたばかりを学ぶから、直線で覚えようとするから、例えば、フォントを12にするのはわかっても、14にするのはわからない。
最初、「教えること、というのは本質的に一緒だと思う。」と言っていたS君も、終わった時には「うーん、自分の言いたい事を伝えるのってすごい難しいし、普段は少しいじればできると思っていたんだけど、皆さん、いじる前に答えを聞きに来るんですね。なんか、研修で言われたことが、ようやく実感できました」
たとえば、恋愛をしていても(推測ですが)相手の気持ちが解るまでイライラ、相手の気持ちが解ったところで、つきあってから「○○君の気持ちが解らない」とか「何を考えているんだろう」とか、「結婚すれば、この不安から逃れられる」
確かに、物事は原因と結果で成り立っていて、結果があれば原因があるし、原因があれば、それは幾通りもの結果になる可能性がある。
しかし、結果と原因の関係、というよりも、原因→結果の流れが短すぎる。紐の先にあめがぶらさがっている。あめのぶら下がっている仕組みを理解せずに、あめと紐のことばかりとらわれるから、紐を引くたびに、あめが違うことが概念として理解できない。うーん、言葉って難しい。
物事をシンプルに考えるのは好きだが、「この原因にはこの結果」というパターンを作って、それがあまりにも短いために、応用が利かない。
しかし、そのシンプルは、たとえば、日本酒のシンプルなきれいな味に似ていて、さまざまなプロセスを通った後のシンプルさに似ている。
今のシンプルは「はい、米用意してー。いろいろやってこのタンクに入れてー。酵母投入〜。ハイ酒出来た〜」そんな感じ。シンプルな振りを見せて応用が利かない。すべてをパターン化して、パターンは経験とともに増えるばかり、そしてパターン同士の連携はない。
「少しいじる」S君の常識はここでは一切通用しない。「これができたら次も出来ると思わないんですね。シニアの人は。」
計算ドリルは直線的思考だ。計算ドリルは脳を活性化させるのにはいいけども、プロセスを考えるには、自分で道を開発するにはやや足りない。(ただ、計算ドリルが必要な人もたくさんいる)
「あの人はね、昔自分が若かったことを忘れちゃってるんだね。確かに、忘れっぽくなるし、つらくなるけど、若くていいわね、なんていっちゃあいけないよね。」
それで少し救われた。Yさんは一生懸命考えて、自分のものにしようとしている。私はそういう人たちを筆頭に、考える、学ぶ楽しさを伝えたいなあ。
第1回は5月上旬。昔数学でぶいぶい云わせていたのに、最近全然やってないよー。数学いいねーという方はぜひご連絡を。(ちなみに、先生は現役大学生、自分たちの好きな問題をそこで解くって感じです。目安は1問10分〜30分くらい?)
考えるということを習慣づけたいな、と思う方はぜひ。月1回開催。場所は弊社(小さな)事務所です。レベルはどうだろうー。もしかしたら高校1年くらいからはじめないとまずいかも、なのが私のレベルです。(センターの1問目にえらい時間がかかって凹んだ)

 

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