マイワンのサイトです。
とっても 店舗 心配 商号 申し込ん おすすめ 非常 限ら 皆さん 落札 拡大 として プラン オンライン パート 年齢 なので 証券 ネット 問題 信用金庫 なかっ 同時に 三井 もしくは 味方 月々 代金 無く

にとってとは?/ マイワン

[ 639] スラッシュドット・ジャパン | プログラミング言語にとっての成功とは?
[引用サイト]  http://slashdot.jp/developers/article.pl?sid=08/05/31/2011209

/.Jの皆様がお使いのプログラミング言語は「いい」言語ですか? どんな言語が、どのように「成功」していると言えるでしょうか?「いい」と思うのに「成功」していないと思う言語などありますか?/.Jの皆様のご意見を是非お聞かせ下さい。
但し書き: コメントはそれぞれ投稿した人のものです。決してわたしたちが責任を負うものではありません。
あくまで商売として考えるなら。資格ビジネスが成立するようになったら成功。初級、中級、上級、その他用途別に細かく別れ、資格の有効期間がありバージョンアップ用の試験も用意。もちろん公式のテキストが、それぞれの試験向けに存在し、テキストの公認にも金を取る。専門学校では最低でも初級を取るように指導。企業では、中級以上で特別手当が出るようになり、資格なんて現場では意味がないと言う人も、持ってないことをちょっと気にしちゃう。実際どうかというと、初級ぐらいでは確かに意味がなく、バージョンアップが頻繁なので、上級の資格もすぐに陳腐化するという状態。それでも多くの人が取っているという事実によって、上司から中級以上を取るように地味な圧力が、、、これくらいになれば、大成功でしょう。#資格ビジネスが成立した後を書くのに夢中になって、成立するまでを書きそびれてしまった
これは、非常に大きな要素かもしれません。例えばjavaがあれこれ問題を抱えていようとも、他にもphpが、セキュリティの面から疑問を持たれていても、またc言語自体が、融通の利きすぎる仕様から問題視されていても、「cみたいに書ける」というのは、ずいぶん魅力的な言葉に聞こえます。
B777やF22の制御ソフトウェアは、Adaで書かれているという話です。私の周りには、Adaの使い手というのは、過去も現在も一人もいないのですが、米国政府機関向けに限って言えば、経緯はともかく非常に成功した言語と言えるのかもです。B777なりF22に利用されているということは、少なくともこれから20年位は使い道があるということですし、継続して価値を生み出し続ける訳です。成功かそうでないかは、難しい。というか、奥が深いかもですね。
>米国政府機関向けに限って言えば、>経緯はともかく非常に成功した言語と言えるのかもです。つまり言語そのものの成功だけでなく、それを使っている商品の成功が重要だということでしょうか。米国の軍事ビジネス/兵器ビジネスが成功しているからAdaが成功していると言えるけれど、これが、たとえば日本の兵器にAdaが採用されていたとしても日本の軍事ビジネスは風前の灯火ですからAdaが成功したとは言われないでしょう。
まだ、よちよち歩きで、赤ちゃんだから顔も少し親に似てないところもあるみたいけど、もう、ご両親と会話しているらしいよ。
二人以上いれば「成功」でいいのでは.これなら会話が成り立つし.多くなればなるほど「良い」言語ということでどうでしょう.
実世界に存在する他のものと同じように振る舞うプログラムを書きたかったら、プログラムも並行構造になることだろう。にちょっと感動して、世の中がそういう潮流になっていけば「成功」と言えるような気がしました。
が、成功(≒広く普及)するポイントではないかな・・・と。決して「書ける」のが「プログラムとして正しく動作させられる」わけじゃないのがポイントだけど。「プログラムとしての信頼性よりも豊富な機能が満載」が最大の市場価値を持つ(と、ベンダーが勝手に誤解してる)昨今のマーケットでは、少数の上級技術者より単純な実装を繰り返しやってくれる大量の人手が必要なわけで、そこにある「プログラマを安く使って使い捨てる」というビジネスモデル維持のためには「バカでも書ける」ことが絶対条件だ。だいたい、業界のシェアNo.1が「信頼性は低くてもリリースすることに意味がある」を体現しているので、疑いの余地がない。今となっては低級言語になったCにしたって、当時の開発環境の水準では非常に高級な言語なわけで、バカでもそれなりに書ける言語なのでユーザを拡大していけた面が大きいんじゃないかなと思う。それ以降生まれた言語は少なからずCの影響を受けた言語なので、Cほど成功した言語はない。(まぁ、高級言語がCとその派生言語が少数しかなかった頃は、それなりに素養がある層以外は業界に入ってこなかったので、「バカ」より「優秀な人材が煩雑な手続きから解放される手段」としての功績が大きいと思うけど)ただ、Javaに関してはオブジェクト指向という新しい概念を強制したことで超バカによる脊髄反射実装をフィルターした反面、一部の天才も理解に苦しむという変な状況を作り出したことは興味深い。そのJavaも、Javaの影響を受けたバカ向けスクリプト系オブジェクト指向言語に少なからず影響を与えたので、Java単独では微妙でも言語グループとしては成功なんじゃないかなと。言葉は乱暴だったけど、実際そんなもんじゃなかろーかと。
後継の言語が作られるか、その特徴が受け継がれた新しい言語が生まれれば概ね成功と言えるのではないでしょうか。
というのもありまして後世の言語設計に影響を与えた=成功、と見なしていいねここは視野の広い人が多いからわかるよねwww
コア開発者やその取り巻きといったキモい連中の顔や名前が即座に浮かんでくるうちは、言語として成功とはいえない。開発者やコミュニティが増え、個人の色が薄まって、思想やしゅーきょー的な匂いが感じられなくなってようやく成功。
オフトピな上に野暮かも知れませんがひとこと。確かにヨーロッパの多くの言語は、特に語彙においてラテン語(やギリシア語)の影響を強く受けているのは間違いありません。しかしラテン語の直接の子孫と言えるのはフランス語やイタリア語、スペイン語などのいわゆる「ロマンス諸語」と呼ばれるものに限られます。これに対して英語やドイツ語などはゲルマン語派の西ゲルマン語群に属し(ラテン語、ロマンス諸語はイタリック語派)、ラテン語とは共通の祖先である印欧祖語を介した遠戚関係にあるというのが現在の定説です。そのため、良く似た語があるからといって、それが親子関係にあるとは簡単に断定できないそうです。それにしてもプログラミング言語を自然言語からどこまで類比して考えることが許されるものなのか、ちょっと私には判断しかねるものがあります。;;;興味がおありでしたら「インド・ヨーロッパ語族」等で検索してみてください。;;;上記の用語法の詳細も検索して出てきたWikipedia の記事 [wikipedia.org]に負っております。

 

[ 640] オタクにとって「足りないのは覚悟」か? - たまごまごごはん
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/makaronisan/20070816/1187109472

「これつまらないなあ」「これエロいし見る人いるのかなあ」と口で言って、一部の作品を猛烈に避けていた頃がありました。隠れオタ時代です。
いや、合う合わないはあるのでそれは選ぶべきなんだけれども、入り口を自分でせばめたり、それを好きな人に「自分は嫌いだ」という嫌がらせっぷりを発揮したりと、もうとんでもなく痛々しいことをしたわけですよ。なんというもったいない偏見。
とはいえ、「自分はオタクじゃないんだ」とか言い張っていた時期って、経験あるひともいるんじゃないかと思います。それがプライド?みたいにしてあるがために「エロゲはやらない」とか「これは作画がダメ」とか「エロマンガなんて買わない」とか、勝手にライン引きをしていたものです。
それこそゲームなんかは一生縁のない人は多いでしょうし、アニメやマンガも全く見ないなんて人もいっぱいいます。
まあ、コーサカは割りとリアリティのない特殊なタイプのオタクなのでなおさらそう感じるのですが、オタクになるのってそんな「覚悟」がいるものなんでしょうか。
自分の経験上、オタクになるのは「素に戻る」ことでした。マンガやアニメが好きだったわけです。それを認めたくなかったり、「そんなのは幼稚な趣味だ」みたいな意味のない優越感に浸ろうと躍起だったのでしょう。うわー、中二病だ。
ある程度の「思い切り」はありました。特にエロマンガと同人誌は、最初買うのが非常に山でした。ちなみに一番最初に買った同人誌はタカハシマコ先生のエヴァのアスカ本でした。今でも大切にしてます。はじめて買ったエロマンガは多分鬼魔あづさ先生。
結局、別にオタクに限らず、スポーツだろうが運転だろうが楽器だろうがなんだろうが、最初の一線というのはあるわけです。
それを超えたらはまる、というのはよくある話。多分もともとやりたかったのだと思います。それがオープンに出来なかっただけ。
ただ、「オタク趣味=後ろめたい」という前提をもってしまうと話は別。それでもいいじゃないか、と思えたなら別に気にならないでしょうし、それはちょっと抵抗が、となるとただ勇気で飛び出すのとは違って「覚悟」が必要な場合もあるかもしれません。
「オタク」とか「萌え」っていう言葉自体には意味はないと思います。それをどう受け止めてどのような意味をつけるが、が個々にとって一番大事なところだというか。
だから、普通にマンガが好きな人は自分のことを「オタク」だと思わなくても、まわりから見たらそう思う、なんてこともあります。また自称オタクでアイデンティティを保つ人もいます。どっちも間違いじゃないです。
「オタク」という言葉と、「ミュージシャン」や「アーティスト」や「スポーツマン」も同列に並べてみます。全部趣味であれば、同じだ、と考えられるようになったとき、自分は途端に気楽になりました。人はどう思うかわからないけど、趣味は趣味です。
ならいっそ「自分はオタクだからー」と言って、好きなことを好きなだけやったほうがお得。ついでに今まで避けていたのも見ておこうかな、オタクのたしなみ!とか思えるようになると、どんどんハードルが下がっていきます。
便利なんですよ、オタクって言葉。「ミュージシャンだから練習する」みたいなパワーがこもっている気がします。
もちろん、自分も作品の好き嫌いや得手不得手はいっぱいあります。ただ、それを「嫌いだ」というとどんどん本当に嫌いになる自分がいやになってきました。
これもブログはじめて分かったことだなあと思うのですが、自分がどんなに嫌いでもそれを好きな人は世の中に必ずいるんですよ。
それに対して「つまらないことを」というのは本当に傷つけることになるし、その人が見出している楽しさを見ていない自分は本当に損をしていると思うし。
誰かが心を動かされているものがそこにあるならば、それは見方を変えれば「楽しめる」場合が実はあるんじゃないかと考えるようになりました。もちろんそれでも合わないのは、仕方ない。
これ手前の二人がドオタクで、後ろの二人がノーマル、っていう設定だと思ってください。あ、かがみは最近リアルなちょいオタな気がしますが。
「2人とも生き生きしてんなァ」というセリフが、とてもイイ。これが嘲笑でもなく、突っ込みでもなく、ただその二人への感想なのがいいんですよね。
「何かを楽しもうと真剣になっているオタク」は、とても輝いている気がします。別にオタク人種至上主義*1っていうわけじゃないけれども、否定や拒絶するよりは、色々なものをみて楽しめる方が断然いいと思うのです。
みうらじゅん氏が「作品は楽しいところを探して楽しもうとするときに楽しくなる」ということを言っていて非常に胸に来た記憶があります。つまり、楽しいところを探す過程が楽しい、という考え方。そしたらB級映画もクソゲーと呼ばれる作品も一気に楽しくなります。
そういう意味では、ニコニコはいいものも悪いものも一気に楽しめるようにできる奇才ぞろいなので、新しい視点をガンガン与えてくれます。これはいい。嫌いだったあれが好きになる、なんてことも多々あります。
せっかくだから、好きなものは好き、楽しいものは楽しい、と言いながらオタク文化をかじっていきたいなあと思えるようになりました。
現実逃避?ばっちこい。行って帰ってくればいい。温泉日帰り旅行だ。旅行先では愚痴はなし、楽しむのがルール。
「げんしけん」で書かれていた「覚悟」。本来の意味は違うかもしれないけれど、こう捕らえてもいいんじゃないかと思うのです。
今回、自分の漠然とした視点を書いておきたいなあという気持ちになったきっかけの記事二つ。お二方とも「純粋に楽しもう」という前向きな視点が感じられて、刺激を受けます。好きなものは好き、もっと好きになりたい。みんながそうであれ、という意味ではなく自分の目標みたいなものかも。
*1:某ネト○ンにうちのサイトはオタク至上主義にカテゴリわけされていて、笑いました。やっぱそうなのかしら。
ヲタク趣味って女と付き合ってパンパンSEXしてると驚くほど無くなっていきますよ。自分にとってのヲタク趣味って言い方悪いけど「代替品」だったのかなぁ、なんて最近思うのデス。
↑みたいな考え方、否定しきれないんですよね。自分もオタクですがエロゲやプリキュアは恥ずかしいからやらない見ないって態度です。昔は何どんぐりの背比べしてんだ、と自己嫌悪してたんですけど、最近は「自分はオタクだけど他のオタクとは違うと考えないとやっていけない器の小さい人間なんだ」とわかるようになりました。「時間は有限なのだから好きなものを好きなように消費すればいい。ただ自分がわからないものを触れもせずバカにするようなことさえしなければいい」、というのが今の結論です。くますけさんも「自分はオタク趣味は代替品だったと達観できるレベルの高い人間なんだ」という意識がアイデンティティなんでしょう。(ただの釣りコメントでしょうがw)こういうのはオタク世界に関わらず人間の普遍的な問題で差別しちゃいけないとかも似たようなもんだと思います。口では平等と言ってても差異や優越感がないと安心できないのが人間の本能なんでしょう。嫌いなものは嫌いでしかたないけど、そういうものが好きな人がいることを認めよう、ということを具体的な方法論でやっていくには…どうしたらいいんでしょう…地道な啓蒙しか今は浮かびません長文すいません。最後になりましたがコミケ、楽しんできてください!!
自分の場合、はじめて本屋で少女マンガを買った時がもっとも「覚悟」が必要でした。。今思うとそこが「一線を越えた」瞬間だったのかも。
「作品は楽しいところを探して楽しもうとするときに楽しくなる」という言葉、ここで初めて知ったんですが、いい言葉ですね!面白さとか楽しさっていうのは、与えられるだけだとすごく弱いんですよね。やるだけじゃなく作るのと同じで、与えられるだけじゃなく求めるという気持ちが大切なんだと思います。せっかくオタクになれたこの人生。積極的に楽しいことを見つけて楽しんでいきたいです。だからこそオタクに足りないのは覚悟だけじゃなく、積極性なんだと思います。同じオタクでも、創作したり企画したりしている人の方が元気だし楽しそう。例え受け手側だとしても、積極的にその楽しさを享受したほうがより楽しくなるんじゃないかなと。そして、そのための覚悟なのかなとも。
>あと、お金。これのせいで思いっきり楽しめないんですよね。時間も制限無ければもっといいのですが、ある程度はお金でどうにかなるし。
「俺に足りないのは、何かを楽しもうとする覚悟だ」という言葉が胸を撃ちました。自分は流行っている作品を避ける傾向がありまして、みんなが見ているのではなくてマイナーな作品を見て、みんなより自分はマニアックというか他の人より知識が深いだと優越感に浸ったり、流行っている作品なんて中身がないよと中身も見ずに決め付けたりしていました。今思えば完全に中二病でした。そういうことによって素晴らしい作品との出会いを自ら狭めていたと思うとかなり人生を損していると思いました。人に踊らされるのは嫌という考えで流行り物を見ないという考えも流行っているからという理由で作品の本質を見ていないので結局は人に踊らされているのでしょう。流行っている作品に踊らされるのは嫌という幻想は捨て去って純粋に作品を見て、つまんないと思っていたけどこれすごくおもしろいという出会いをたくさんしていきたいと思いました。どんな作品でも積極的に見て何でも楽しめるようになったらすごく人生が楽しくなるだろうと思います。
一部の作品を避けるのってやりますけど、それって自然だと思うんですが。映画でも自分のジャンル外ってあるじゃないですか。それを無理にアニメとかマンガとかゲームで一まとめにして全部好きとか言うほうが不自然かと私は思っていますただ、人にその好き嫌いを押し付ける行為だけが問題だと思うんですよ。でよく一般の人(?)叩かれるオタクの悪い面というはそういう「価値観の押し付け」かと。
はじめまして。『げんしけん』の話があったので。私は斑目さんの“オタクはなろうと思ってなるもんじゃなくて気付いたらなっているもの”という言葉を意識して、笹原の“覚悟”の言葉はスルーしてました。 確かに、“なっているもの”とは言いえていると思ってますが、そこに踏み込む事は出来る人としたいけど踏み込めない人がいるんだなぁと思いました。
この記事を見て自分がなぜこのサイトが好きなのかわかりました。たまごまごごはんを見てると、記事の隙間から「とにかくなんでも楽しんでみよう」というたまごさんの姿勢が伝わってきて、幸せな気分になれるのです。ほんとに文句なしに素敵な考え方だと思います。私が偏見を捨てて色々な作品に触れ、良作を探し出す楽しみを知ることができたのは、たまごまごごはんのおかげです。ありがとう。たまごまごまごごはんって打ちそうになった。
オタクなら面白いもの全てに触ればいいと俺は思いますでも触れても何が有るわけでもないですよね・・・作る立場の人間ならそれは義務みたいなものなんでしょうけど
女性と付き合ってるオタクも結婚してもそのままの人もいっぱいいるんだけどね?ヲタク趣味ってなくなっていきますよ=ヲタクはみんなモテナイからやってるだけwヲタク趣味がなくなっていきました=自分の場合こうだった文意というものに気をつけてコメントしましょうね。価値観の押し付けなんてオタクに限らずやる人いるのですが?オタクの悪い面=価値観の押し付けというのはオタクの中には価値観を押し付けるものという偏見があるからでしょう。(それはただの個人差)一般人から叩かれてるのはなにより「キモイ」というイメージでしょう。私の場合ディープなオタからすればオタクといえないレベルで一般人から見ると間違いなくオタクなレベル。まぁつまりオタクなんて言葉が指すのなんてそんなもんですから気にせず好きなものを楽しむのが一番ということですね。
追記私の友人に到底オタクといえない流行に流されまくりの人いるのですが(まぁ流行オタクといえないこともないですが)、「良いんだってコレマジで。やってみちょっと」としょっちゅういってくる(そのくせ一ヶ月もたてば興味失ってるし)奴がいるんですがこんなのどこにでもいるし。お見合い大好きおばさんとかだって感想さんのいう例に当てはまると思いますし。この場合のヲタクに限らず野球ファン(あまりオタクとは言われない不思議)にしろ洋楽マニアにしろそういった押し付けをする奴もいるしひっそりやってる奴もいる。なので「価値観の押し付け」をオタクの悪い面なんていうのは無理がある。オタクは価値観を押し付ける。格好に気を配らないからキモイ。同人誌やら作画やらについて語りまくる。モテないからはけ口として二次元にハァハァ言ってるだけ。ロリコンで陵辱監禁大好きでエロゲーやりまくってる性犯罪者予備軍。そういったイメージが一般人から嫌われ、自分はオタじゃないという人が増える原因なのでしょうね。
はじめまして。文章、大変興味深く読ませてもらいました。以下、僭越ながら私見を述べさせてもらいます。積極的に物事を楽しもうとする意識、大事なことだと思います。ただ、それが度を過ぎると、楽しもうとするばかりに自分自身の気持ちを蔑ろにしたり、自分の感性を軽視するといった危うさも滲み出てくる場合もあるのでは?「つまらない」ものを「面白く」だけではなく、「つまらない」ものを「つまらない」とする、これも同じく大事なことだと思います。たとえば・・恋をしてる時には意中の人の仕草はどれも可愛らしく見えるものですが、事が結婚に及ぶと、相手のプラス面とマイナス面を慎重に考えるようになるのではないでしょうか。楽しいことを積極的、能動的に探しながら、他人とは違う自分を「自覚」し、自分で評価し、その上で楽しむ。オタクに徹する限り、オタクに求められているのは「覚悟」と「自覚」、あとお金(笑)かと考えます。Blog文の主旨と違っていたらすいません。オタクの定義付けは個人個人で違うためかこういう話題は難しく、また、いろんな意見が出て面白いです
はじめまして。「覚悟」と言うのは「金や時間がかかる」のも無論ですが、「自分の上限」を越えてみた人達の事だと思います。「できない」「無理」「何もそこまで」最初っからこう思ってる人には絶対越えられない壁でしょうね。「自分のキャパシティ」を自分で決めつけてるみたいで。「越える」と実に楽しいんですがね。「食わず嫌い」はなくなるし、(とりあえず首突っ込んで「あ、生理的に合わんわ」ってのはありますが)。趣味のカテゴリーが増えて、「これ以上ついていけん」と思ったらそこでブレーキかければいいだけで。ただ、趣味の押し付けはいけませんな。むしろ、「自分が楽しそうにしてるところを周りに見せる」事で「ちょっと興味持ってきた」と思わせる方がベターだと思います。それでこちらに色々聞いたりするならできるだけのバックアップはしたいですしね。
はじめましてです。スタンスにすごく共感したのでコメントさせていただきます。 自分がいわゆるオタク文化に最初に触れたのはライトノベルだったと思いますが、その中で「こんなに面白い話があるのに知らないまま過ごしていたなんて勿体ない!」と思うものがたくさんありました。その時期から徐々に、偏見の目で見ていたアニメやマンガなんかも、とりあえず売れているもの・勧められたものは見てみよう、面白かったら儲けだ と考えまして、その時から格段に取っ付きやすくなった気がします。こういうことですよね?一時は布教厨と化してたりとか、今となっては苦い思い出です。自分はやはり偏見の目を気にしてオープンには行けないので、好きなもんは好き と言えるネット(ブログ)環境があることに感謝してます。
恋とはするものではなくて落ちるものだと言います。オタクも同じでなるものではなくて堕ちるものでしょう。
おたくも極め尽くせばそれで食えるようになります。「おいしんぼ」の世界じゃないですけど「究極のおたく」となりましょう
筋肉少女帯再結成初のニューアルバムだ!ロッキンホースバレリーナが目印。あの名曲「イワンのばか」ニューアレンジも収録。
ラミエルのシーンはほぼ新作で、今後どう展開していくのか謎だらけながらも「ああエヴァ面白いな」としみじみ感じさせられる傑作。2の情報はまだかしら。
「アオハルッ!」元気はつらつに飛び回る子供たちの淡く明るい、恋愛と友情、そしてアホの子。明るさが目にしみてなぜかじわじわ涙がにじむ逸品。
まったく別展開の小説版は、子供たちの姿にスポットをあてたジュブナイル。コイル好きなら新鮮に楽しめます。
タカハシマコ「乙女ケーキ」。百合好きなら特に「タイガーリリー」は必見。少女達の身体感覚と心のありかを繊細なタッチで描いた傑作集。
乙ひより「かわいいあなた」。やさしく流れる時間と、ゆったりとした安心感と体型。女の子同士の情の通い合いをしっかり描いた傑作。
星里もちる「わずかいっちょまえ」。あの子供だった日々を思い出す人へ、子育てをしている人へ、次の世代の子供達へ伝えたい、私の選ぶ一冊。
あさりよしとお「なつのロケット」あの時、全力で科学へ挑もうとした心をぼくは忘れない。「まんがサイエンス2」とあわせてロケット入門書としても使える一冊。

 

[ 641] Half Moon Diary | 3D化はエロゲにとって進化なのかという疑問
[引用サイト]  http://ralf-halfmoon.jugem.jp/?eid=158

ぶっちゃけ痕フォロワーな作品なんですが(と自分は思っている)、ヒロインの3姉妹がみんな可愛いのでおっけーおっけー。特に冬子さんの愛らしさは異常ですよ? 基本有能で冷たい人が主人公の前では形無しってのは萌えます。
当時流行っていたサワヤカ系大爆発なメロディーとヴォーカルが印象的ですが、しかしこの曲の真の魅力は歌詞にあると思います。
というのは、この歌の歌詞の内容ってぶっちゃけ「地味だと思ってた女の子がグラマーで驚いた」それだけなんですよね。お前何そんな爽やかに下心ありまくりな歌歌ってるわけ?ってギャップが最高なのです。しかもこいつ(この歌の主人公)「普通の女(おんな)と思っていたけど)」「僕にはあわない人だと思った」とか妙に偉そうなのがまた笑える。その根拠のない自信はどこから来るんだ?
軽いノリと見せつつ最後はだいたいヘビーかつシリアスな展開になる本作ですが、その中でも未亜ルートの、ギャルゲーにあるまじきドス黒い愛憎劇は必見です。お前ら本当やりすぎ。冒頭のセリフはあまりにも有名ですが、他にも「お兄ちゃんの大きさ・・・全部知ってる・・・」「全部・・・いなくなっちゃえぇぇぇ〜〜〜っ!!!」「10年前から、お兄ちゃんでオナニーしてたよ?」などなど、どうやったらこんなセリフを思いつくのかと思うくらいの名言・金言の宝庫です。
そしてこのセリフ群をいっそう輝かせているのが、神がかりとさえいえる歌織先生の演技でしょう。純粋すぎる愛が別の感情に変わっていく様を、実に見事に表現されています。それはもう、恐怖を覚えるほどに。
『ジャスティス』でみんなが幸せになれるハーレムルートが追加されましたが、個人的にはトゥルーエンドは未亜ルートだと思っています。他の女を抱くお兄ちゃんを許せる未亜なんて未亜じゃないよ!(断言)
以前似たような話題を取り上げたこともあるのですが、例のai sp@ceのこともあったので、改めてエロゲの3D化を考えてみるのもいいだろうと思いました。
コンシューマゲームのほとんどのジャンルは、2Dから3Dに移行しています。2Dのゲームで評価されているものもたくさんありますが、しかしそれらは2Dのゲームを経験したユーザー層が一種の郷愁でもって支持している……つまり、いわゆる“古き良き時代”を再現しているという意味において評価されていると思うんですよ。
一方エロゲの世界では、3D化が段々浸透してきたかなあというところです。技術がだいぶ進んできて、2Dの萌えイラストをかなりのレベルで再現できるところまでやってきました。「らぶデス」シリーズや「タイムリープ」なんかは、ぱっと見ほとんど2次元と区別がつきません。
この調子でさらに技術が進めば、3Dエロゲが2Dを超えてしまう日が来るかもしれない、そう思わせるだけの実力を3Dエロゲはつけてきているのです。かつて「ときめきメモリアル3」がそれを夢見ちゃったように。あれが5年後に出てれば時代は変わったかもしれないのになあ……。
3Dエロゲが2Dに対して圧倒的に有利なのは、動きを伴った演出が可能ということです。エロゲというのは突き詰めればキャラクターとコミュニケーションするゲームですから、相手のキャラクターの感情表現は豊かな方が良いに決まっている。もちろん、エロシーンの動きにおいても。
それで言うと、2Dのエロゲは基本的に表情と立ち絵のバリエーションでしか感情表現が出来ません。立ち絵を動かしてみたりズームさせたりといったテクニックも使われてはいますけど、根本的なところは変わっていないわけです。
しかし3Dのエロゲは、どんな動き、どんなポーズでも取らせられます。表情はまだそこまで行っていませんが、少なくとも動きという点に関しては、全身で感情表現をさせることができるようになっている。この差は非常に大きいです。
今までの2Dエロゲの表現というのは、いわば紙芝居だったんですね。エロゲの立ち絵と紙芝居の一枚一枚というのは、ある意味非常に良く似ている。必要なときに必要な場面を見せるという意味においてです。
一方の3Dエロゲは、演劇だと思うんですよ。だってキャラクターモデルに“芝居”をさせられるじゃないですか。今は絵コンテ切ってその通りに動かすという作り方をしているところもあるみたいですが、3Dモデルの真価はそこにはありません。3Dモデルをどう動かすかという手法には、もっと大きな可能性が秘められていると思うんですわ。
しかし、では3Dエロゲが2Dに完全に取って代わるかというと、たぶんそれはありえないだろうと思います。3Dエロゲはおそらく今後増えていくでしょうけど、2Dエロゲが無くなることもまた、ないのではないかと。
2Dエロゲが3Dエロゲに対して持っている絶対的な長所は、イラストに含まれる情報量の多さです。この情報量には、デッサンの正確さや塗りの細かさといった技術的な点はもちろん、その作家のタッチであるとか、あと絵の可愛さみたいな感覚的なものも含まれます。可愛さってのは微妙なもので、その絵にギリギリまで(物理的には無く、精神的に)近づかないと伝わってこないんですよね。そこへいくと3D絵というのは、まだまだいろいろなディテールにおいて2D絵に遠く及ばない。現時点では。
僕はそれでも、2次元絵のエロゲは生き残り続けていくと思います。なぜなら、漫画がこの数十年技術的に進歩してもその根本的なところは変わっていないように、2次元絵もまたひとつのジャンルとして生き残り続けていくと思うからです。
前にも言ったとおり、2次元のキャラクターというのは、2次元の世界にあり続ける限り限りなくリアルに近いです。人間は想像できる生き物ですから、2次元のイラストからどこまでも空想を広げられるんですよね。これは、何もかもが表現できてしまう3Dでは極めて難しいことです。
この業界というのはクリエイターのブランド力を売りに商売を展開していますよね。そして、そのクリエイターは大半が商業誌や同人誌といった紙媒体=2Dで活躍している人物ばかりだからです。
現在の技術では、3Dキャラクターは2Dのイラストを元に作られていて、よって3Dは2Dにどうしても劣ります。では将来技術がめちゃくちゃ進んだらどうかといえば、いくら3Dキャラが2Dに負けないくらい精緻に作れるようになっても、結局2D絵を元に作っているのではないでしょうか。であれば、3Dは2Dを永遠に超えられませんよね。2D絵は一度人間の絵に触れてしまった瞬間、その人間の想像力によっていくらでも美しく、可愛く変わることができるからです。
もしこれを変えられるとすれば、3Dでしか作品を発表しないクリエイターがばんばん出てきたときしかないでしょう。
で、もうひとつの可能性としては、2Dキャラがアニメのように自由自在に動き回るゲームが現れるという可能性があります。
思わず「NO・・L」という単語が頭を過ぎってしまいましたが、しかしそれでも静止画のエロゲは生き続けるでしょう。アニメとマンガがあるのと一緒で、ですね。描き込まれた2Dのイラストがそのまま動いちゃうような技術が現れたらどうなるか分かりませんが、多分それは数十年、ヘタしたら百年単位で先のことだと思うので、あんまり現実的には考えてないです。
まあ、それでも2次元なりに動きを取り入れていこうという動きはすでに始まっていて、アージュはかなり高いレベルでアニメーションを取り入れることに成功しているし、背景に動きを取り入れる(以前取り上げた話ですね)という方向に進んでいるメーカーもある。
というわけで結論としては、3Dにも2Dにも長所はあるので今後も両者は共存していくのではないかというとこだったりします。

 

[ 642] スラッシュドット・ジャパン | 2010年の冬はIPv4にとっての冬となるのか
[引用サイト]  http://slashdot.jp/it/article.pl?sid=08/05/31/204215

この講演において、既存のIPv4な環境をエンドユーザに提供するための方法として、「アクセスコントロールの部分でNATを利用する」といった方法が提示されているようなのですが、そうすると提供されるIPアドレスがすべてプライベートなIPv4アドレスとなってしまうため、万が一この方式が採用された場合、DDNSな自宅サーバを立ち上げるといったことが気軽にできなくなるかもしれません。
定期的にこの「IPv4が枯渇する」ネタはあちらこちらで聞く気がしますが、最終的にはどのような未来が待っているのでしょうか。
但し書き: コメントはそれぞれ投稿した人のものです。決してわたしたちが責任を負うものではありません。
IPv4が枯渇するなんてデマです実情を知らない役人とIPv6に移行させる=ビジネスチャンスぐらいにしか考えてないITゼネコンとの癒着の結果でしかないです利権で儲ける事ばかり考えてないで大昔に適当にばら撒いたアドレスを整理するところから始めたらどうですか?と言いたいですね携帯電話ですら番号使いまわしてるのにIPアドレスでそれができないわけが無いそもそもIPv6にすると何かいい事あるんですか?マルチキャスト?でもそれ、主な利用方法はストリーミング再生(要するにyoutubeとか)でしょ?なんかもう矛盾してるというか支離滅裂じゃないですか?私の勘違いですか?
現在絶賛経済発展中の国がインターネットを利用し始めていて、IPv4 アドレスをどんどん要求している現状を見て、それでもなお「区画整理して空きを見つければいい」と言えるなんて真似できません。空きがある→誰かがそれを利用してる!絶対陰謀だ!きっと利権だ!ってちょっと妄想気味じゃないですか?頭のいい悪党がいる事は認めますが、そいつらよりもはるかに多いのが「何も考えて無い or問題を先送りにする者」の存在ですよ。後者の行動が今回の遠因だと考えるのが妥当です。確かにインターネット黎明期の割り当て方法はまずかったことは確かですが、整理して空きを見つけても利用が加速すればそれも焼け石に水です。完全にいきわたってから IPv6 になるより、今のうちに移行しておいたほうがより良いと思いますが。移行には問題がつき物ですから、先に利用していた人たちがその問題を解決し、今後利用を始めていく人たちへの贈り物とするのが落し所です。IPv6 にすると何が良いの?って疑問は、正直痛い部分ですね。たしかに NGN に似たところがあって、「何か良くなる」ものではなく「必要に迫られて」という理由ですから。そこには何か回答を(技術屋サイドから)用意すべきなんでしょうね…。技術屋ならではの回答ならあるんですが、それは利用者サイドからは「なにそれ?」って理由ですしね…。
> 大昔に適当にばら撒いたアドレスを整理するところから始めたらどうですか?と言いたいですねこれができれば数ヶ月は延命できるでしょう。で、もし1年延命できたら何か事情が変わりますか?> 携帯電話ですら番号使いまわしてるのにIPアドレスでそれができないわけが無いこれこそ根拠が無いという意味ではデマですね。数社が運用している「携帯電話が番号使い回しできる」故に全世界で運用している「IPアドレスが使い回しできる」という結論にはなんの論理もありません。IPアドレス宛にパケットを配送するにはルーティング情報、つまり目的地がどっち方面かという情報を覚えておく必要があります。そのためにある程度大きなブロック(少なくとも /22=1024個ぐらい?)単位ぐらいでないと使い回しに現実味がありません。大昔のクラス A を回収できて数ヶ月延命できたとしても、その後使われていないアドレスをブロック単位で回収するのは無理でしょう。
経済学的発想は鵜呑みにすると,痛い目に遭う.(アイデアの実行のコストとその副作用がしばしば無視されるので)
なるほど、サマータイム導入の話がたびたびあがる理由が、今やっと分かりました。経済学的発想で実行のコストと副作用が無視されているわけですね。# 本題に全然関係ない。
ルーティングテーブル等の技術的な問題もさることながら、IPv4アドレスが交換可能な市場形成にかかるコストも検討に含まれてないですよね。池田信夫氏はいろいろなところでこの持論を発言されていますが、市場形成のコストについての試算を見たことがありません。この方のトンデモ発言はよくネットで話題になりますが、最近は話題を集めたり、ページビューを稼ぐための壮大な釣りだと思うようになりました。
それは焼け石に水です。その方法ではアドレス空間はたった6万倍にしかなりません。しかも、その6万倍のアドレス空間ではコネクションの数が1アドレス一本に制限されます。26種類のアルファベットが今後26,000種類になることは地球的カタストロフが起きない限り無いかも知れませんが、コンピュータで扱う通信対象の数が今後6万倍になるのは十分に有りうる話です。真面目に書くとすると、TCPやUDPのようなNATに対応したプロトコル以外のプロトコルをインターネットで使うことが出来なくなります。今後インターネットでは新しいプロトコルは要らないとお考えかも知れませんが、インターネットの発展を支えてきたのは「実際に動くモノこそインターネットである」という原則です。
最近のShowNetの痛いところは、「これができるよ」までしか見せられないところかも。 上の方でもさんざん言われているけど「これができると、こんなにうれしいことがあるよ」ってならなきゃ、たとえば移行作業という面倒に取りかかろうとは誰も思いません。 v6の話になると「v4と同じことができるよ」とか、自分の言ってることを考え直した方がいいと思いますねぇ。「ならv4でいいじゃん」が普通の感覚だってなぜわからないんだろう。「君の家の隣に、今の君の家と全く同じ家を建てたよ。あらゆる点ですべて同じように再現したから引っ越してね。もちろん引っ越し費用は自前で」といわれて引っ越す人、いるの?
> v6の話になると「v4と同じことができるよ」とか、自分の言ってることを考え直した方がいいと思いますねぇ。「ならv4でいいじゃん」が普通の感覚だってなぜわからないんだろう。「君の家の隣に、今の君の家と全く同じ家を建てたよ。あらゆる点ですべて同じように再現したから引っ越してね。もちろん引っ越し費用は自前で」といわれて引っ越す人、いるの?人を動かすには
なんつーか、技術を知らない経済学者の言説を、そのまんま真面目に信じてしまう人が/.Jに出入りしているという事実にげんなりする今日この頃。

 

戻る

マイワンのサイトです。

マイワンのサイトです。